広島の湾岸からよく見え、夜景のビュ-ポイントでもある「絵下山(標高593㍍) 「灰ヶ峰(標高737㍍)と麓の呉市街に車で行ってきました 

 

私は2年前に山歩きで登っていますが、今回は女房さんを連れて車で山頂まで行きました。

 

【絵下山(えげさん)

自宅から40分で絵下山山頂に到着。

山頂の大きなテレビ塔が目印。下からも良く見えます。

ここからは広島市街が一望できます。夜景も綺麗です。

 

 

【灰ヶ峰】

灰ヶ峰に移動します。40分程度のつもりが道に迷って一時間    かかりました。

 

(山頂からの景色)

左の山が「休山」で右が「鉢巻山」でそれに挟まれるように    呉市街があります。

ここからの夜景も素晴らしいそうです。

 

林道を登っていると大きなダンプカーが下りてきます。

上で何か工事をしているのでしょうか?

 

山頂で警備員に聞くと気象台観測施設を新たに建設し、解体した残材を運び出しているとのことでした。

 

外形は2年前と同じで球形の白いレーダドームがあります。

呉市街のどこからでも見ることができます。

 

 

【呉史跡・・入船山記念館】

入船山記念館は昭和42(1967)年に(1967)年に呉の歴史記念物・資料の  保存・展示のため「旧呉鎮守府司令長官官舎」を中心にして    開設されました。

 

そもそも「鎮守府」とは。

明治、日本が西欧に負けない近代国家化を進めるため海防力を備える必要があり、その為呉・横須賀・舞鶴・佐世保の軍港に置かれた海軍の本拠地のこと。       

呉鎮守府は明治22(1889)年に開庁。急速に呉に人・先端技術が集められた。

鎮守府の役割は各海軍区を防備し、海軍工廠(艦艇の建造・修理・兵器の   製造)や海軍病院、軍港水道等の都市インフラ整備・運営・監督行った。

 

 

(旧呉海軍工廠塔時計・・市有形文化財)

大正10(1921)年旧呉海軍工廠造機部の屋上に設置され終戦  まで時を刻んできた。

 

高さ10mの塔時計は現在も動いている「電動親子式衝動時計」 としては国産で最古のものです。

 

現在一日に4回流れるメロディーは市内の小・中学生が作曲したもの

 

 

(入船山記念館入り口)

左の白い建物は「番兵塔」です。

 

「番兵塔」は警備のために建てられたもので、昼夜を問わず    ここに立って警備をしていたため足元の部分が擦り減っています。

 

 

(旧高鳥(たかがらす)砲台火薬庫・・国登録有形文化財)

明治35(1902)年に陸軍が音戸の瀬戸に近い休山に建設した高鳥砲台の跡地から昭和42(1967)年に移築したもので総石造りです。

 

この周辺(倉橋島、江田島、呉市)の山を歩いていると多くの砲台跡の窪み、石造りの建物を見かけます。

 

 

(四十五口径高角砲の砲身)

昭和56(1981)年に呉海軍工廠砲火工場跡の地中から発見された

 

量産製品で昭和18(1943)年~昭和19(1944)年の2年間で    約2000門生産されました。

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(旧呉鎮守府司令長官官舎・・国重要文化財)

現在の官舎は明治38(1905)年に再建され7代~32代司令長官とその家族が40年に亘り使用した。

 

建物は木造平屋で、洋館部と和館部が繋がっている和洋折衷の特徴的な建物になっている。

 

洋館部の壁・天井・廊下腰壁には豪華な「金唐紙」が貼られている

 

(洋館部正面)

外観は英国様式で公的業務・行事に利用されていた。

 

(和館部玄関)

家族など私的住居に利用されていた。

 

(和館部側面)

 

(和館部の外庭側)

 

 

(洋館部客室)

壁は全面「金唐紙」が貼られている。

 

 

 

(洋館部食堂)

テーブル上には当時のフルコース料理のサンプルが置いてあります。

前菜から魚料理、肉料理、デザート、コーヒーまで、今と全然遜色の ない豪華ディナー料理です。

 

食堂天井には「花幾何文様」という金唐紙が使用されている。

 

(洋館部応接所)

 

 

(和館部屋内)

和館部には使用人、茶室も含めると座敷が9室ある。

 

 

 

 

【洋館部に使われている「金唐紙」】

金唐紙のルーツはヨーロッパで生まれた金唐革(皮革にエンボス加工して金色に彩色したもの)からきている。

 

 

「金唐紙」は皮革の代わりに、金属箔を貼った和紙に凹凸加工を施し、上からワニスを塗って金色に仕上げた加工紙です。

 

 

 

 

歴史民俗資料館から見た「灰ヶ峰」。山頂に気象観測の白い   レーダドームが見えます。

灰ヶ峰は呉市街のどこからでも見ることができます。

 

 

【水交神社】

昭和18(1943)年海軍の手によって建立され、天照大神を     祀ったもの。

 

 

【旧東郷家住宅離れ・・国登録有形文化財】

呉鎮守府参謀長として呉に在任していた東郷平八郎が明治23

(1890)年5月から1年8カ月の間住んでいた邸宅の離れを移築したものです。

 

 

【呉市立美術館】

 

【青山クラブ】

明治36(1903)年に旧呉海軍下士官兵集会所として開設された。

現在は呉市が購入。

耐震対策、大規模な改修が必要で保存・活用の方法が決まっていないようです。

 

せっかく呉に来たのでチョット街ブラをしました。

メイン通りと思われる「れんが通り」を歩く。

 

小腹が空いたので喫茶店に入りスパゲティと女房さんはワッフルと   コーヒーを注文。

 

青山クラブ、市立美術館通りに戻ってきました。

両側に彫刻の像が点々と展示してある道を登り、駐車場に行き

帰途につきます。

 

 

いい時間になりました。

 

今度ゆっくりと昔の軍港の史跡を訪ねてみるのも良いかと思いました。