信念に基づき老婆を殺めたものの精神的に追い詰められたラスコーリニコフ。しかし、様子が尋常ではない息子を見ても、母・プリへーリア・アレクサンドロヴナは、どこまでも彼を信じ、彼の考えを尊重します。
「…おまえの都合がよかったら─寄っておくれ、わるきゃ─しかたがない、こうして待っているから。」
(ドストエフスキー、『罪と罰』より、プリヘービア・アレクサンドロヴナの言葉から)
母としてつらい立場でありながら、それでも、息子のすることを信じる。その姿を読んだときに、芥川龍之介の「杜子春」を思い出しました。
仙人になりたいと願う杜子春は、仙人・鉄冠子から「どんなことがあっても声を出してはならん。」との達しを受けます。魔性の仕業によりいろいろな試練が与えられますが、杜子春はそれに耐えます。
ただし、最後の試練は、痩せ馬に姿を変えた杜子春の父母が、激しくむち打たれるというもの。それでも必死で声をおさえる杜子春に、馬に姿を変えた母親が言います。
「心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえしあわせになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何とおっしゃっても、言いたくないことは黙っておいで。」
(芥川龍之介、『杜子春』より)
その言葉を聞いた杜子春は、はらはらと涙を流しながら「おかあさん」と叫ぶのでした。
母の子に対する愛、無償の愛。
たとえ息子がどんな悪行を犯したものであっても、無条件に息子を信じる姿には、心打たれます。
『罪と罰』は、人間愛の小説でもあり、家族愛の小説でもあります。いい本というものは、いくつもの読みの可能性をもっているものです。