AIと人間 ─『国家と教養』(藤原正彦)─ | 出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

 今年初めの新聞には、AIと人間との関係を報じた記事が数多く取り上げられていました。

 近い未来、多くの仕事はAIにとって変わられると言われています。そのような中、人間でしかできないこと、人間らしさとは、何なのでしょうか。

 

 これまで、何回かにわたって取り上げてきた藤原正彦さんの言葉から。

 

 AIに知を組み込むことは無制限に可能ですが、情緒のすべてを組み込むことは不可能です。人間の深い情緒のほとんどは、人間が一定時間の後に必ず朽ち果てる、すなわち「死」という根源的悲しみに裏打ちされているからです。機械であるコンピュータには絶対的な死というものがありませんから、深い情緒を身につけることができません。

  (藤原正彦、『国家と教養』)

 

 確かに、始まった時、あるいは最盛期の時から、その終焉を想像してちょっぴりせつなくなってしまうことがあります。

 例えば、お正月に兄弟や親戚が帰省してきた時には、数日後の別れのことを考えたり、桜満開のなかでどんちゃん騒ぎをしながら、はらはらと散る花びらにもののあわれを感じたり・・・。

 すべてのものは、いずれなくなってしまうことを知っているから、人は、そのようなことを感じるのでしょう。そしてそれは、決して負の感情ではなくて、人間にしか持ち得ない、大切にしたい感情です。