コンビニ店員として、完璧なマニュアルの中でしか生きられない「私」。一緒に働く店員たちも均一な「店員」という生き物に作り直されていく世界。
しかし、彼氏なし、36歳の「私」が男と一緒に暮らし始めたという情報が流れたとたん、コンビニ店内の状況は一変します。
「今度飲み会やんない?彼も連れてきてよー!」
「子ども作らないんですか?」
「悩みとかあったら聞くよー!」
マニュアル通りに整然と進められていたコンビニの仕事は乱れます。人は、結婚して、子どもを作って、家庭を持つことが「普通」なんだという、人間社会のマニュアルに、コンビニのマニュアルなど太刀打ちできないことを象徴しているかのようです。
この小説のラスト・シーン。男の説得によりコンビニを辞めていた私が、コンビニへの思いを断ち切れず、通りからコンビニを眺める描写が印象的です。
私は生まれたばかりの甥っ子と出会った病院のガラスを思い出していた。ガラスの向こうから、私とよく似た明るい声が響くのが聞こえる。私の細胞全てが、ガラスの向こうで響く音楽に呼応して、皮膚の中で蠢いているのをはっきりと感じていた。
(村田沙耶香、『コンビニ人間』より)
コンビニと「私」の生命力、力強いつながり、そして人間らしささえ感じさせます。
コンビニ人間を批判する私たちこそが、実はそれを超えるマニュアル化された考えに囚われていないか、『コンビニ人間』は、そんなことを訴えてきます。