年末に、妙な夢を見た。
子供の頃からのもので、何というか、キャラクターがいる。
   

「北風と太陽」という童話がある。
ほとんどの方がご存知と思うのであらすじは割愛する
    
子供が読むものだから「北風と太陽」には大抵は何かしら挿絵がついているだろうと思うのだが、僕の持っていた本は、多分、幾つもの海外の童話が収録された童話集で、少し版画っぽいイメージの挿絵がついていた。
5歳くらいだっただろうか、、それとももう小学校に上がっていただろうか、、今ひとつ、記憶にないが、挿絵はよく覚えている。
その挿絵の太陽がなんとなく怖かった。
      
「太陽が顔になっていて体がついている」
  
というのがなんとなく怖かったのですね。
んで、挿絵は版画風で白黒なんだけど、子供のイメージの中では、カラーになっているわけです。
それも、そこそこカラフルで、そういうものキミが悪かったんだろうね。
だから、その頃、頻繁に不気味な夢になって、出てきた。
でも、不気味と思いながら、なんとなく、その顔が太陽のキャラクターに守られているような、「神様感」があった。
     

  
AI画像生成してみたら、一発で、イメージ通りのものが出てきた。
ChatGPTは、AIで人の記憶も読むのだろうか・・・・

それから、しばらくして、中学生になった頃だ。
    

   
何かの漫画に「なむさん!」という言葉が出てきた。
全然内容は覚えていないが、主人公が何かしらのピンチで、
例えば、必殺技を繰り出すとか、一か八か、という感じのシーンで、

なむさん!!!

と言っていた。

その時は、いまいち、なむさん! の意味は解ってないんだけど、なんとなくで、仏教的の呪文的なもの、なんだろうな、と思っていた。

で、、一般的に「なむさん」のアクセントは、
「おばさん」とか「安倍さん」とかの、最初から最後まで一定、平坦な発音だと思うのだが、
最初に、なむさんという言葉を知った時は、
「キムさん」とか「トムさん」とかの、最初の文字にアクセントがついている感じだと思っていた
 

   
その後、なむさん、が実は、「南無三」正しくは、
「南無三宝」 のことで、仏・法・僧 の三宝、に対して、従属する心を表し、仏の救いを求める言葉であることを知った。
何かに失敗してしまったり、失敗しそうになったピンチの時にいう言葉なのだな、と思った。
そんな詳しいことは知らずに「なむさん!」を見た時に、なんとなく、これが、北風と太陽、の太陽を神とした言葉、のような気がしたのである。それから、時々、「なむさん!」と「太陽」はセットになって、この頃は、なんでだかよくそういう夢を見た。
   

   
細部は覚えていないけれど、イメージとしてね、なむさんと太陽がセットで出てくる。
べつにピンチだとか、切羽詰まっているとか、そういう事でもなくて、極めて穏やかに、

  
「今日はいいお天気ですね、なむさん」

的な、なんですかね、なんなら、ナマステ、くらい陽気な感じで夢に出てきていたわけです。


大人になると人は心が汚くなるので、そういう夢を見る事も無くなって、、
でも、なんとなく「南無三」という言葉は、どこかで、僕の心の支えの一つだったりした。
僕は、宗教にも神にもあまり興味はないのだけど、どこかで「言葉」にすがるタイプというか、
言葉、が好きなんだろうと思う。
   

   
コロナ後遺症がひどかった時に、そういうのを思い出した。
一時期は、本当にヨボヨボになっていて、散歩をしながら、斎藤一人さんの天国言葉、

ついてる うれしい、たのしい、幸せ、
ありがとう、愛してます、感謝してます、許します

や、光明真言

オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン
 唵 阿謨伽 尾盧左曩 摩訶母捺羅  麽尼 鉢曇摩 忸婆羅 波羅波利多耶 吽

を唱えていたり、
(これ、もちろん覚えています。何十年も前から。

 僕に合う機会があった方、突然にでかまわないので「光明真言唱えてください」って言ってみて。本当に僕いつでも突然でも言えるので)

南無三、は、一般的には突然のピンチとか、失敗しちゃった時、とかに、使う言葉なんだろうけど、なんとなく僕には太陽とセットになってるものだから、太陽へのご挨拶、みたいなものになっていて、、、
ああ、人ははこう言うところから信仰を産んでいったんだろうなぁ、、なんて思う。



昨年の暮れ、本当に久しぶりに「太陽と南無三」の夢を見た。
その中で、太陽は、なんだか普通にお友達で、、
こんな感じで街を歩いていた。


僕は、彼を見つけて、「トムさん」と声をかけるような感じのアクセントで、

「なむさん!」

と声をかけると、

「おー、、、久しぶり〜!」

みたいに返してくれて、、と言う夢だった。