東京国立近代美術館。

棟方志功の生誕120周年を記念する展覧会に行ってきた。

写真撮っていいのがちょっとびっくり。
最近多いのかな・・・

 


   
    
ちょっと棟方志功っぽくないのをチョイス
    
愛読だったという、ウォルト・ホイットマンの詩を作品にしたもの。
著作権があるからダメだけど、Tシャツにしたい!!!
 



展示物に関しては、いくらでもネットに載ってるから、まあ僕が載せなくてもいいかなと。


僕は、それほど棟方志功に関して詳しいわけでもないし、
大ファンってほどでもない。
       
ただ、、なんというか、山下清の時にも思った事なんだけど、
今回、少し僕が感動するツボみたいなものがわかった気がして。

美術っていうのは、こう、、、

没頭、

の美しさとか、すごみ、とかなのかな、って。

没頭にも、

禅のように、
瞑想のように、

静かに、その世界をただような没頭を映し出す美術もあって、

   
一方で、棟方志功や、山下清、のような、

一心不乱、とか、無我夢中、とか、積極的な没頭もあって、、
   

美術の見方、なんて高尚なもんは僕にはよくわからないけれど、
芸術家の脳内に宿るもの、そこに視界としてあるものを、現実世界に映し出す強固な信念みたいなものが、作品に如実に宿る時があって。。。
   


正直にいうと、美術展、を観ていると、ふーん、とさらっと観て通り過ぎてしまう作品と、
ぱっと観てどきっとするもの、の違いがあって、、
それはたぶん、そういう事なんだろうな、と、勝手に思うのです。
   

      
僕自身が、没頭する、という事、今、少しできなくなってきていたから、
反省する、とかそんなんじゃなくて、取り戻したい。

棟方志功が、まるで4、5日間食べ物がなかった状態で粥を与えられたかのように、
押さえつけて齧り付くように版木を猛烈な勢いで彫り付けていた、あの没頭感を、
心から羨ましいと思う。

   

  

この眼鏡を通して、自分が現実世界に映し出したいものを、
ただただ、彫り進む。
  
版木と彫刻刀と、

棟方志功の間を取り持っていたフィルターがこの眼鏡なのです。
 

 


 

平日水曜日、思ったほど混んでいなかったので、是非観に行って欲しい。

10時開館。
僕は、9時半に到着して、1番でした。
10時10分前くらいには、40メートルくらいの列になってました。

 

 

棟方志功展を観ると、国立近代美術館のMOMATコレクションも観られる。
こちらも、
  

  
ジョルジュ・ブラック パウル・クレー
東山魁夷、岸田劉生、奥村土牛、と言った、僕のミーハー心をきっちりくすぐるビッグネームの作品が目白押し。
 
めちゃめちゃお勧めです。