広島のお好み焼きには、実はすごい思い入れがあるのです。
   

明大前のおばちゃんのお好み焼きが生んだ、奇跡、のような話しもある。

ちょっと長い投稿になります。

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僕は、西永福にある、今は、高千穂大学、当時は
 

「高千穂商科大学」
 

という今で言うFラン大学を卒業した一応大卒です。

 

Fランらしく当時からそこそこおバカ学校呼ばわりされてて、

でも、なんだか自由でとっても好きな大学でした。

とか言う割に、全然授業出てなくて、

バブル時代の学生によくある、在籍してるだけでバイトに明け暮れて、みたいな学生でした。

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西永福よりちょっと渋谷よりに明大前、という駅があって、なにかとその駅でブラブラしていた。

仲良くしてる楽器屋さんが商店街の中にあって、商店街を甲州街道に出るちょい手前の左側に、お好み焼き屋さんがありました。

(facebook情報から、どうも、とんぼ家という店ではないかと、)
 

このお好み焼き店が、

当時としてはとても珍しい、

いや、今でも東京では珍しいかな、

広島のお好み焼き屋さんだったのです。

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当時、60歳手前くらいじゃないかなぁ、、

おばちゃんが一人でやっていて、

僕は初めて食べる広島のお好み焼きにめちゃめちゃ感動して、、、

それで、おばちゃんの通うようになって、、

  

入り浸ってる、までは行かないけれど、

バブル時代の学生はそこそこ金持ってるから、

ちょいちょい行って、、

しまいに、おばちゃんが銀行行ってくるから、なんて

店番をしたり、

ちょっとネギ買ってきて、なんて、お使いに出されたり。。

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おばちゃんは僕の名前も多分知らなくて、

でも、行けばおばちゃんといろいろお話ししたり、

学校ちゃんと行ってねえな、、って、怒られたり、

そうやって、オーストラリアに行くまで、月に一二回は行ってたかなぁ、、、

それなりに常連ヅラして、いたんですね。

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で、その店で、初めてオタフクソースを知った。

おばちゃんが、広島のお好み焼きはオタフクソースじゃないとダメなんだ、と言って、オタフクを使っていた。

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当時、オタフクソースって、まだ関東には普通には売っていなくて、おばちゃんに、お金はうから、って言って、おばちゃんはそんなのあげるって言うんだけど、やっぱりお店の物をもらって帰るのはよくないから、って、ちょとだけお金はらって、オタフクソースをつめてもらって家にも持って帰っていた。

その頃から、家に帰ると(あんまり実家に帰らない日が多かったので・・)おばちゃんの見様見真似で広島のお好み焼きを作ってた。

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だから、今でも僕のお好み焼きは、関西風も作るけれど、どちらかといえば、広島お好み焼き、がデフォルトなんです。

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で、、、、

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大学4年を休学してオーストラリアに行く事になって、、、

   

  

おばちゃんに、

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「俺はオーストラリアに一年くらい行くから、

 帰ってきたらまたくるね」

    
  

って言って、おばちゃんはその日、餞別だっていって代金をタダにしてくれて。

それが最後だった。

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その後、オーストラリアにいって、一年ちょっとして帰ってきて、学校に戻って卒業して、またオーストラリアに行って、ってやってるうちに、なぜだか、おばちゃんの店には行かずじまいで、、

そのまま、、ずっと、、明大前にはいかないまま、

おばちゃんに「帰ってきたらまたくるね」と言ったのに、顔も出さないまま、、時はどんどん流れて、、、

オーストラリアで永住し、

すっかりオーストラリアの人間だったのに、なぜか途中でミュージシャンになり、、、

そうやって、また日本に帰ってくるようになった頃には、、

おばちゃんに「帰ってきたらまたくるね」って言ってから、20年以上も経ってしまってた。

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今から5年くらい前の話、

ここからが、、奇跡の話。

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鹿児島、天文館に

「すわちゃん」

と言う広島風に近い感じのお好み焼き屋さんがある。

永松茂久と、二人で、

お好み焼き食べたいね、って、

すわちゃんに行った。

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お好み焼きを食べながら、

ふと、おばちゃんの事を思い出し、、

僕はシゲに明大前のお好み焼き屋の話をし始めた。

おばちゃんに結局、会いにいかないないまま、挨拶もしないまま、今になっちゃってて、もうお店もないんじゃないかなぁ、、、

なんて、事を話終えると、シゲが、、

「サミイ、それ、駅でて商店街を甲州街道に抜ける手前くらいの左側にある店じゃないか???」

って言うんだ。

 

 

え?? って思って、

  

「そうだけど、知ってんの??」

 

 

って言うと、シゲが、

「俺、そこでバイトしてた」

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シゲが学生の時、と言うことは、僕との年齢差を考えると・・

僕が、おばちゃんと別れて、10年後くらいだろう、、、

シゲは、おばちゃんの店で、バイトをしていた。

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僕らはそんな事を全く知らずに出会って、

年齢差なんかは吹っ飛ばして、兄弟と呼び合うようになり、

そうやって今がある。

鹿児島から戻ってすぐに、明大前に行ってみた。

おばちゃんの店は、案の定もうなくなっていた。

近所には、古くからやっていそうな店もあまりなくて、聞いてももわからないだろうなぁ、、、って思いながら、どこかおばちゃんを知っていそうな古いお店を探してみようかと、お店の前で思案していると、通りがかったおばさんが、ちょっと訝しげに僕を見ていたから、、ついつい、

「あのすいませんご近所の方ですか?」

って声をかけてしまった。

長く住んでいると言うので、おばちゃんの店の事を聞いてみた。

そのご婦人はお店をよくご存じで、おばちゃんの事もご存じで、もうずいぶん前に閉店して広島にお帰りになったから、その後のことはわからない、との事だった。

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世の中のご縁、と言うのは、本当にありがたいもので、、

  

あの頃、おばちゃんに分けてもらっていたオタフクソース、大学の友達には広島の人間がおらず、オタフクソースなんて誰も知らなかった。そのときから僕はオタフクソースをつかって広島のお好み焼きを、見様見真似で作っていた。

大学の途中からオーストラリアに行き、しまいに永住者になって長年住んで、そして、ミュージシャンになると言って日本に帰ってきて、シゲと出会い、シゲが茂喜にい、と敬愛するオタフクホールディングスの佐々木茂喜社長を紹介してもらい、、

茂喜にいは、先日の広島、お話と生弾き語りの会、にもおいでくださった。

  

  

僕が、広島お好み焼きには、オタフクソース一筋、オーストラリアでも家から決して欠かした事がないのには、そもそも、大学時代に僕に広島のお好み焼きを教えてくれた、明大前のおばちゃんの思いでから、ずっとつながってきているからなのです。

この間、広島で、老舗有名店、いっちゃん、でカウンターで、ずっと作り方見てて、家に帰ってちょっとブラッシュアップした。

青海苔のフタがゆるんでて、ドバっっと出ちゃってルックスが残念だけど、

僕のお好み焼き、なかなか美味しいのよ。