先日僕は57歳になった。自分もそんな年齢になるんだなぁ、、と、なんだか不思議である。

人生も半世紀を越えて、たくさんの人に出会ってきて、印象に残っている人ってやっぱりいて、、
あの人はどうしているんだろう、、って思う人がたくさんいる。

   
 

向こうは僕の事を覚えているだろうか、って場合もあるし、、
あえて、また会いたいとか、そう言うわけでもなく、
でも、間違いなく僕の若い頃の、重要な彩の一つになってくれた人ってのがいる。
  

   
米米クラブ、僕の年代だといまだに、なにかのきっかけで名前の出てくるバンド、
米米クラブの話がでてくるとついつい思い出す人がいてね・・。

 



1988年〜89年頃のゴールドコースト
「ハッピーハウス」という、日本の町中華みたいなお店があった。
  
そこに「しかピー」と言う、やや大柄でゴリゴリのサーファーが働いていた。
僕の記憶では、僕より、2、3歳年上で、見た目はちょっと
「怖いサーファー」
なイメージなんだけど、めちゃめちゃに優しい人だった。
     

  

僕が、当時、彼女だった、今の奥さんとで出会って、
その頃、奥さんは日本に帰るためにお金を貯めはじめた時で、

働き始めたけど、しかも給料日前で、全然お金がなくて、


僕は、まだ働く前で、全然お金がなくて、、
   

  
ある夜、晩のご飯をどうしよう、って事になり、、
僕と奥さんのお金を足しても5ドルちょっとしかなくて、

奥さんが、銀行からお金をおろしたらいい、
って話になり、ATMに行ってみたら、
10ドルからしかおろせないのに、9ドルちょっとしか入ってなくて、

そもそもそれしかない口座からお金をおろすのもなんだよな、、、
って話でね、、、


で、、しょうがないから、手持ちの5ドルちょっとで、
大きな4つ割にできる四角いパンを買って、
水を買って、あとなんかお菓子をかって、

それを家に持って帰って、パンを半分食べ、お菓子を食べ、水を飲んで、
残りのパンは明日のために取っておこう、なんて、話して、
それはそれで、そんな貧乏してるのが結構面白くて、

  
奥さんはもうちょっとしたらお給料が入るし、僕は僕で、もうちょっとしたバイトが決まっていたから、仕事が始まればなんとかなるし、あんまり悲壮感もなかった。


で、、しかピーにたまたま街で出くわして、その話をしたわけです。

  


「昨日、こんなこんなで、彼女と二人でお金ないからこれしか買えなくて、わはははは」
   
みたいに笑い話として話したわけ。

そしたら、しかピーは、

「ゆうちゃん、それ、少しも面白くない。
 男だったらどんな事しても、彼女に飯くらい食わせないといけない。
 大体、そんな事になってたなら、なんで、俺のところに来ないんだ。
 きょうの夜、彼女連れて、ハッピーハウスに来い」


ってちょっと怒って言ってくれた。

   

  
僕らは図々しいから、とりあえず、夜、ハッピーハウスに二人で行ったわけだ。
しかピーが、「なんでも好きなもの好きなだけ食え」って言ってくれて、
お腹いっぱいご馳走になった。
ああ言う男だから、当然、自分でその分の支払いをしたに違いない。
  

 
食べ終わって、なんだかちょっと涙が出る思いがしたのね。
俺、なにやってんだって。
遊び呆けて、お金なくなって、彼女に飯も食わせれれない。
それに対して、こうやって、飯を食わせてくれる「しかぴー」という先輩のカッコよさ、
なんか、俺はこういう人間になりたい、って素直に感動したのです。
   

  
で、たぶん、その時の思いは今もずっと残っているような気がする。
あれから、37年とか建って、今、飯が食えない、なんて事は起こらなくなったけれど、、
あの時の、しかぴー、に言われた、

「男だったらどんな事しても、彼女に飯くらい食わせないといけない」

って言葉は、僕の心の中で、
なんだろう、男はまず、そうでなければいけない、
の、一番にずっとある。

僕がその後、いったん日本に帰り、またゴールドコーストに戻ってきたときには、
もう、しかぴー、はいなくなっていて、探そうとすればいくらでも探せたんだろいけれど、
なんだか、そういうつもりもなくて、不義理なままこの歳になって、
しかピーも、そんな事を僕にしてくれた事も覚えてないだろうし、そもそも僕を覚えているかどうかも怪しい。
仮に、しかピーが、ユウサミイ、というミュージシャンを知ったとして、それがあの時のゆうちゃんである事もきっとわからないだろう。

あの頃、ゴールドコーストでそういう時代があった、
って事で、それはそれでよし。
あえて探そうとも思わないんだけど、、ただ、、


もしかすると、別の人かもしれないし、今一つ、それが本当に「しかぴー」だったのかも定かではなくなってしまったんだけど、

僕の記憶が正しければ、しかピー、は、
米米クラブのドラムの「Ryo-Jさん」が従兄弟だと言っていたと思うのです。
(人違いだったらすいません)
    
  
だもんだから、いまだに、米米クラブ、と聞くと、しかピー、を思い出す。
しかピーは、たしか、「鹿野」という苗字で「しかピー」だったと思う。

(ちなみにRyo-Jは坂口さん)
   
しかピー、元気にしているかな、、
自分が、僕にそんな影響を与えた、なんて知らないんだろうな。


        

 

    
先日、たまたま米米クラブのこう言う動画を発見した。
   

      
1986年、米米クラブが、野外ライブイベントに参加した時のものだ。
僕の大学の学祭に米米クラブが出演してくれたのもこの年だったと思う。
この動画は、決して高音質ではないけれど、バンドメンバーそれぞれの音がくっきりわかって、
この当時の米米のライブ演奏のアレンジがしっかりわかる動画で興味深い。

大好きだった、僕自身、影響を大きく受けた、と思う、女装のギタリスト、

博多めぐみのギターと、
キーボードも兼任していた得能さんのギターの棲み分けもよくわかる。


この頃の、米米クラブ、衝撃だったなぁ、、、