昨年、6月の終わりに、目の手術からの復活ライブを京都でやって
正直、全てが報われた、って思うくらい、快心のライブで、、、
  

     


その後の岡山もばっちり。
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これから、ガンガン活動するぞ、って意気揚々としていた。
   

        
その半月後にコロナ発症。
喘息も発症し、後遺症がまだ濃く残る中、
ぜったい復活できると信じて強行した、9月、
滋賀、近江八幡のライブで、
   

  
1時間過ぎるまではでは絶好調だった。
1時間を過ぎたあたりから、胸のもやもやはひどくなり、
思うように息が吸えなくなり、
    

    
結果、お客さまに謝って、その状態で歌える歌を、って変更して、
それでも近江八幡のお客さんはみんな本当に温かく、
支えてくださってなんとかライブも終えて、
その場で、一旦、活動休止を宣言させてもらった。
   

     

   
その日の夕方、ホテルに帰って、
見た夕日を絶対に忘れない。
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がんばった、でも、完全復活はできなかった。
お客さんに申し訳ないのと、
ただただ、温かく支えてくださったことに感謝するばかりで、

情けない、とは思わなかったけれど、
必ず恩返しをしたい、と思った。

  

  
以来、治療とリハビリに専念して、
ある程度、体調を戻してからは、できる範囲で壊さないようにかつ最大限でトレーニングを続け、
服の上からでも体が変わった、と言われるくらいまで体感を固めていった。
これはもう説明すれば30分くらいかかるくらい、いろんな事を考えて、
今、この現状で、ちゃんとした歌を歌えるように、って方法論を編み出して、

それに沿って体を作り上げて行った。
  

  
これね、そもそも、そうあるべきなんです。

     
「すごいね」
「ストイックだね」
「えらいね」

って言ってくださる方がたくさんいて、本当に恐縮する。
今までが、オーストラリア時代にある程度鍛えてあった体で歌ってたものだから、
まあ、体は維持して程度で、やっていけてた、だけだった。
 
そして、そもそも、肺活量、肺機能、に余裕があったから、とても無駄な歌い方をしていた事にも気づいた。

今、復活を賭して、となったから、必死に、一生懸命にやっている、
って、見えるけど、なんのこたあない、
   

   
今までが、昔作った体に甘えてサボっていただけだ。
病気になり、年もとり、使い物にならなくなってきた体を、
使えるように作り替える、
これで、生きて行きたいのだから、当たり前のことで、
だからこそ、なんだか最初は妙に必死になってはいたけれど、
つらい、ってのはなかった。

   


僕はもしかしたら、

自分を信じる、

という能力が人より長けているのではないかと思う。


調べて調べて、どうすれば今使える息量で歌えるのか、
考えて考えて、トレーニングを開始して、
どこかに、これがダメだったら、今年もまた活動休止を続けて、やり直せばいい、
と、絶対に焦らない、って気持ちを持つことにしてやってはいたけれど、


でも、絶対これで行けるはずだ!
という自信があった。

だから、体はきつくても気持ちはつらくなかった。

 

いや、それは嘘だな、、気持ちは全然つらいくないわけではなかったな。
   

  
「やっぱりだめかな、、」「だめかもしれないな」
みたいな弱気は、やっぱり出る事がある。
     

   
そう言う時は、
最悪、トーク&ライブ的なね、そう言う方向にシフトチェンジすればいいじゃん、
って「プランB」があるじゃん、それもだめならきっとCもでてくるって、
気楽に考える事にして、
それでもやっぱりそういう不安はつらい。


気持ちがつらくなかった、は、トレーニングをする事につらいと思う事はなかった、
って意味ね。
だって、面白くなってきちゃってたから。




年末までは、毎日、夜9時くらいには寝てた。
疲れて体がもたなかったから。
それでも、この程度に寝てば、絶対このトレーニングで体は保つ。
このやり方で、倦怠感を持ちながらでも、やっていける状態を作れる、ってすごい信じてた。
  


本当に、これで絶対いける、って確信したのは2月に入ってからかも。


今日、1日、なんにもしません。
筋トレ、有酸素運動、だけはするけど、もう、練習もしません。


明日からに備えて、休む。
明日から、それなりにハードな日程が、21日まで続く。
これが、問題なくやり切れたら、次が見える。

  
まず、明日、鹿児島、天文館、復活ライブ。


必ず成功させてきます。