1月26日は、オーストラリア・デイ。
つまりオーストラリアの建国記念日。
       

   
で、、うちの夫婦の結婚記念日でもあります。

    

   
僕んちは、オーストラリアで結婚したので、戸籍謄本がちょっとカッコよくて、婚姻に関するとこに、
「在ブリスベン総領事館より送付」
という記述が付いてる。
  
日本で結婚するときには全く必要ない、保証人、というのもいて、
オーストラリアで結婚すると出る、マリッジサティフィケイト(婚姻証明書)ってのもあります。
    
           

      
とは言え、うちの結婚はなんというか、いろいろ便宜上、手続き上で、そういうタイミングで結婚した感じだった。

   
正直なところ、僕らは「結婚」にさほど重きを置いてなかったんですね。
オーストラリアで永住するために、最初ビジネスビザを取得して落ち着くまでは僕は独身の方が都合がよくて、だから奥さんは学生ビザでオーストラリアにいて、もう生活に問題ない程度に英語はできるけど英語学校に通ってて(まあ上級者ではなかったし)で、ビジネスビザが降りてしまってからなら、結婚すると僕のビザに奥さんが乗っかる事が出来て、、みたいな感じね。
だから、「生活に不便な事がでないように結婚します」って感じだった。
ロマンもなんにもねえや。
        


  
だから、結婚式もちゃんとしてない。
オーストラリアに行ったばっかりで、まだ少ない友達が数人で祝ってくれたけど。
でも、僕らはそれでよかった。
奥さんの両親も、ほんとうはどうだったかわからないけれど、それで納得してくれていて、
奥さんの家にはもう、30年以上は出入りしているし、今はもう僕にとっても京都の実家みたいな家で、
去年、義父が亡くなって、改めて、何というか、僕らの生き方はたぶん間違っていなかったよね、って義父も納得して逝ってくれたんじゃないかな、と思ったりする。
  

    
そんなわけで、うちの奥さんは、結婚する時、結婚指輪、というものを僕からもらってない。
当然、ダイヤの婚約指輪、も買わなかった。
僕、アメリカ宝石学会の宝石鑑定士なのに。
  
そもそもそんなお金がなかった。
結婚した当時は、もう、少しはお金にも余裕ができ始めていたけれど、結婚するほんの半年前、
僕は、たった20万円持ってオーストラリアに来た。
宝石鑑定士の免許を取るのだって、結構な金額がかかるし、ビザがなかなか降りずに日本で貯金を食い潰して待ってたから、いざ、オーストラリアに、ってときには、
   
ビジネスビザがあって就職先は決まっている、

というだけ。
ブリスベン空港に着いた時点で、20万円しか持っていなかった。

そりゃ半年で、ダイヤの婚約指輪買えるようなご身分にはなってないよね。


だから、結局、結婚して3年半後くらいに、すこし余裕ができて、
で、奥さんが日本に里帰りして、そのタイミングでアメリカから友人も日本に帰ってくることになって、
アメリカの方が安いから、って事で、ティファニーのダイヤがぽつぽつ入ってる結婚指輪を友人に頼んで、日本で受け取って、

そこでやっと結婚指輪を買ったわけ。
(ちなみに僕は指輪をしたくない人なので、持ってすらいない)
    
そして、それから2年後、永住権も取れて、僕も、渡豪後5年半にして初めて日本に里帰りして、
京都で、自分が務めていた宝石店にオーストラリアから連絡して、
で、1ct、そんなに大きくはないけど、ハート型のダイヤの指定のランクのものを取り寄せてもらって
馴染みだった貴金属加工業の職人さんにプラチナで指輪にしてもらった。
結婚して5年半後にやっと婚約指輪、5年半して、やっとそろったのです。
     
   


結婚して、26年、ただただ、よく我慢してくれてるな、と思うばかり。
正直、僕はそんなにいい旦那ではないと思う。
家のことは料理以外一切できないし、

(しないのではなく、やっても雑だからさせてもらえない)
ライブで、奥さんが僕を貴様と呼ぶ話だとかするから、ちょっとカカア殿下みたいに勘違いされがちだけど、
うちの奥さんは極めて昭和の世話女房ってやつで、こんなこといったら、非難轟々かもしれないけど、実質的に、僕のお世話係みたいになってて、特にコロナ以降、稼ぎも悪くなった旦那を抱えて、さらに去年一年、身体壊してほとんど寝てて、今も後遺症でいろいろ面倒はあって、
   

     
それでも全然、一切、文句言わない。
どうするの? 仕事できてないよ? 
なんて、絶対言わない。
僕が本当は狙っているところがあるとか、僕なりに考えている事があるとか、
全部信じてる。
   

      
焦らなくていい、世の中の流れでなった事、誰も悪くない。
目を失明する事もなかったし、すべて運がいい。
まず身体をこれ以上壊さない事、ゆっくり復帰すれば大丈夫。
お金がなくなっちゃったら、それなりの生活をすればいい。  
       
去年1年、まともに働けない代わりに、世の中のほとんどの人が夢に観るような事、 

            
あんなに大きな映画にあんなに重要なところで出させてもらって、
知り合いじゃなかった頃から大好きだった映画監督と、ブラザーみたいにいっつも遊んで、
ミスチルの桜井さん、GAKUーMCさん、と3日間も一緒にライブさせてもらって、
ハリウッド映画のオープニングの音楽までさせてもらって、
   
人生になんの文句もないでしょ、
だから、まず、焦らない。
   

       
そんな事言える奥さんって世の中にどれだけいるだろうって思う。
ある意味、世の中に、こんなに肝の座った人っているかな、って思う。
本当に誇りに思う。
    

  
FENDIをやめる、

ミュージシャンになりたいから、もう約束されてたような、
安定した生活捨てて、もう一度、ミュージシャンを目指す。
  
そう話したときも「ああ、そうですか」だけだった。
     

  
失敗したら、どうすんの? 
ダメだったらどう責任とるの?

みたいな事一度も言われた事ない。
       
 
思えば、結婚前から、義母がそうだった。

義母、です。
奥さんの、母親、です。
  

「オーストラリア に行って永住したい。
あなたの娘を連れて、オーストラリアに行って生活したい、まだ仕事のあてもありません。
いろいろ計画も調査もしてるけど、まだどうすれば成功するかはわかりません。」
    
 
っていう僕に、
    

「娘がそれでいいと言うならそれでいい、面白く生きればそれでいい。
もともと何にも持たないで京都にきたのだから、
失敗したら、もともと何ももってなかった京都に帰ってきてやり直せばええだけやんか。」
   
  
人生って、誰と出会うか。
誰と生きるか、だな。

 


     
いつもポジティブで、いつも諦めなくて、何をするにもブレなくて、
って、僕をそう言う人だと思っている人が多いように思うけど、
それって、自分一人ではそうでは居られないだろうと思う。
   

26年か。
ほんとうにお世話をかけてきたし、これからもダメな旦那なんだろうと思うけど、
たぶん、僕は、僕にしか見せられない人生を、見せてこられたと思う。
安心も安定もなかったけど、その分、面白い26年だったと思うのです。

26年もの長い間、いや、出会ってからは、35年、
ほんとうに大変な思いをしてきたと思う。
ありがとう。
  



「いいですか?」