先日、サブス ク配信も開始したアルバ
     
Now and Back Then

に「CD回して」という曲が入っています。
   

 
はたして、曲、と言っていいものかどうか、、という楽曲ですが、
ファンクベースの昔からの僕の音楽嗜好を表してる、僕らしい曲ではあります。
            
この曲は、2005年から2006年にかけてオーストラリア自室で作った、自主制作CDに収録されていました。
つまり「アマチュア時代」というより、久しぶりに音楽をまたはじめて、最初に作った楽曲数曲のうちの一つ。
         

      
また音楽がやりたい、今度は歌を歌いたい、って全て日本語で作った楽曲。

なんとかして、日本に広げる方法はないかと考え、
今で言うSNSのようなインターネットコミュニテイを通じて日本の友人を作り、

80人に、3枚CDをコピーして友達に配ってくれる事、という約束を取り付け、
オーストラリアから無償で郵送しました。

  
そのCDの中に、

「このCDは、チェーンCD化、を狙っている。
 気に入ってくれたら、一枚でいいからコピーして、友達に回してく欲しい」
   

   
というメッセージを曲にして収録した。
  
それが「CD回して」でした。
    

     
このチェーンCDには対応するホームページを作り、
「CD回して」には、ホームページアドレス、を読み上げている部分があり、
そこで僕の情報などを知る事ができるようになっていました。
     
     
曲の内容は、2006年4月当時のCDを受け取ってれた人へのメッセージですから、
今現在の僕の状況には全くそぐわないし、現存しないサイトのURLを読み上げたりしてる。
オーストラリアにいながら、日本で自分の歌を広げたいって、いろいろ考えてのこのアイデアは
当時としてはなかなか画期的だったかな、って思います。   

  
このチェーンCD活動が、僕が日本に帰ってきてミュージシャンになるきっかけを作りました。
言い換えると、多分、このCDが僕自身の人生を救ったのだと今は思います。 
    

       
この頃、僕は、20代の全てを捧げた永住権も取り、
海から2キロのところに大きな家も買い、

経済的不安もなく、
側から見れば、30代にして夢の全てを叶えた「勝ち組」だった。

なのに、僕は毎日、すこしずつ自分が壊れていくと思っていた。
             
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   

                   
当時、僕は、大きな問題を抱えていました。
何年もの間、うつ病とパニック障害に悩まされていました。
        
原因がわからない、生活になんの不満も不安もない、
なのに、常に何かに怯えて生きていました。

突然動悸が起こると、
      
まるで、高層ビルの屋上の角に立たされて、
強い風が吹いているような恐怖、
  
あるいは、


家を出て車で1時間くらい走ったところで、
ガスの火を消していないのでないか、いや絶対に消していないと思う、
そんな不安感、
    
何にもしてないのに、どこにも問題は起こっていないのに、
ただ、普通にベッドで寝ている、テレビをみている、
スーパーで買い物をしているとか、そう言う時にそんな状態になった。
      

   
頭の中にいつもたくさんの言葉が行き交っていて、
いつも、何かを考えていて、何を考えているのかも自分でわからないし、
ただ、どうしよう、、って思ってた。
なにを? なにをどうしようなのか、もわからない。
          
なんで、僕がこんなふうになる?、って、いろんなものを恨んでいたし、
一生このままなのかと思うと、生きていくのに希望を持てなくなっていました。
僕は、キチガイになってしまったのではないか、毎日壊れていっているのではないか、、
一日中、うっすらとそんな事を考えていて、
夜寝ていても、うとうとと、30分くらいおきに起き上がり、
それを繰り返して、もうすぐ朝になる、と思うと、また怖い。 
        
          
見栄っ張りなもんだから、それが恥ずかしく、そう言う事を外で気づかれるのも嫌で、
話したところで、気の持ちようだ、とか、そういうのわからん、
と言われて終わりだから。
ただ、めんどくさいやつって事になって終わりだから。
毎日元、普通で、気なふり、をしている事にも疲れていました。
               

      
総合失調症、と言うのは、メンタルだけでなく、フィジカルにも身体を蝕むもののです、
何を変えればいいのか、何が悪いのか、わからないまま、僕はいつも体のどこかに不調を抱え、常に胃が痛く、潰瘍をつくり、腸にいつも空気が溜まり、下痢をしていました。
ちゃんと眠れていないから、いつも、風邪をひいていました。
とにかく、毎日、身体がつらかった。
 


ここに書いていることは、ほんとうに一部、
鬱、ってのは、ほんとうに複雑なものなんです。 
そして今でも、それを話せば、病気自慢みたいに思われる、ってのが怖い。

だから、あんまり話さない。  
    
        

           
まだ、音楽で生きていこう、なんて本気で考えてはいなかった頃の事です。

        

            
たくさんの病院を回って、抗うつ剤を出されるだけで相手にしてもらえず、
IBS、というのだけど、日本で言うと、神経性超過敏症かな、、
その治療のために、あるインド人の消化器内科の専門医に診てもらう事になりました。
   

   
僕は、自分の英語で正しく説明できる自信がなくなっていて、
今までのこと、症状のこと、ノート5枚に、解説図付きで、びっしり書いて持って行き、
とても小さな、まるで、スターウォーズのヨーダがスーツをきているみたいなルックスの、

スキンヘッドのインド人の先生に、
          
「うまく説明する自信がないから読んでくれ」
   
と渡しました。

    
先生は、一通りノートを読むと、いくつか症状に関する問診、
触診などをした後、、
  
      
「あなたは本当に自分のやりたい事をして生きていますか?」

        
と僕に尋ねました。そして、        

      
「今、あなたが、幸せだ、ありがたい、と思うことを今思いつくまま、全部言ってご覧なさい」
         

           
住みたいと思うところに住み、
近所の人はみんないい人で、いい友達もいて、
奥さんは優しく、仕事場もみんないい人で、嫌いな人はいなくて、
経済的な不安もなく、仕事に追われることもなく、
英語も話せるようになり、、
夢だった生活を実現して、、、 

       

    
そうやって話してくうちに、なぜだかものすごく悲しくなってきました。
       
先生は、途中で、もういい、というようなジェスチャーをして、
   
     
「で、、あなたの今は、あなたがほんとうにやりたかった事をしていると思いますか?
 私には、あなたが何かを守ろうとして、たくさんの我慢をしているように思えてならない」
        

       
というような内容の事を、ほんとはもっといろいろ説明しながら言ったのです。

       

       
そしたら、涙が出て涙が出て、、
僕は、その日初めて会った、160センチもないとても小さな医師の前でボロボロ泣きました。
    

        
先生は、

「それが、あなたの病気の原因です。
 あなたの病気は心の病気だから、消化器内科医の私に治せるものではない、
 でも、あなたなら治せる。あなたしか治せない。
 本当はやりたかった事があるはずだ、本気でやってみなさい、
 そして、もし、本当に我慢でいないほど怖い、と思う事があったら、夜中でも構わない
 電話してきなさい」
      
と言って、当時はまだ珍しかった携帯電話の電話番号をくれました。
  
   
なんという勇気だろう、と思いました。
     
心底ありがたいと思ったし、この人に迷惑は絶対にかけない、って思いました。
そう思ったら、その程度に常識を考えられるくらい、まだ僕は正常なんだと思いました。
きっと先生は、僕はまだその程度の状態だと、自分で立ち直れる、と、信じてくれたのだと思いました。
        
        

実はこの時には、あくまでちょっとした趣味程度だけど、、 ギターを引っ張り出して、音楽をまたやり始めてた。
    

    
先生の言葉を信じ、

ただ、とにかく自分が好きだった音楽を真剣にやってみよう。
そこにかけてみようと思いました。
一日中、中学生の時のようにギターを必死に練習し、歌を何時間も歌いました。

   
そして、たぶん、ただ、歌をつくる、歌う、ではなくて、、
ちゃんとした形になったものを作り上げる事、で何かが変わるように思ったのです。
     
だから、日本から、CDを作る機械を取り寄せて、CDを作り始めた。

    

   
こんな機械で、よく作ったものだ、ってちょっと自分でもびっくりします。


 
この部屋で

    
      
プロで通用するレベルに楽器を弾く技術をもっていた事、も、救いでした。
芸は身を助く、ってこう言う事だなって思った。
    

   
   

    
正直、僕はそれまでの生き方が間違っていた訳ではなかったと思います。
オーストラリアに住む、永住する、その目的のために、20代の全てを費やした。
いろんな事は犠牲にしたと思うし、大変だった事や、心が折れそうになったり、潰れそうになったりもして、でも乗り越えてきた。ただ、長い間、精神にその時の僕では耐えきれなかった負荷がかかっていたのだろうと思う。
決して強い人間ではないから。
それで、永住権もとり、家も買い、全ての夢が叶って解放されて、しばらくして、そこまでに溜め込んだストレスが

おかしな事になっていってしまって、脳の回路のどこかがぶっ壊れたのだろう、と思っています。   

  

  

なんだか、絶対に克服するんだ、って決意して、音楽に打ち込む中で、
まあ、これは別にまた話そうと思うけど、いろいろ身体が苦しい事もあったりしつつも
僕は生きてる限り絶対に逃げない、心だけは絶対に負けない、って決めて、
  

CDが完成した頃には、さまざまな症状は明らかに改善に向かっていました。
これさえやっていたら、死なないで済む、と思いました。
     
ミュージシャンとして生きる事に人生を賭けてみることにした、
そんなふうに書くと、ものすごい、必死の決断をしたかのようだけど、
正直、その時は、むしろ、さらっとした決断だった。
だって、悩む理由がなかった、それやらなきゃ、僕は生きていけないでしょ?って思ってた。
生きるための、手段、を見つけたような清々しい気持ちでいっぱいでした。

そしてね、おかしなもので、
あの時、そういう経験をした事っていうのは、今になってものすごく効いてる。
今、ちゃんと生きているだけで、全てがありがたい。
そして、なにがあろうと、あの頃を考えれば、怖いものもない。
だから、


越えたら強いんだ。
   
を、僕は自分の経験で言える、って思うんだけど、
そして、それを今が辛い人たちに話したいとも思うって、ずっと言ってるんだけど、
正直、今、お話、たとえば、講演のような形で話す、となったら、
どう話せばいいのか、、が、全然わからない。
  
でも、なにか形にしたいという気持ちはあるんだけどなぁ、、。

   
   
    
「CD回して」
コミカルに作ってある歌だけど、
ここには、つらかった日々から抜け出そうとしていた僕の希望、
みたいなものがあったんだって、今になって思うのです。

 






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