治った! コロナ治った!
夜明けに目が覚めて、本日、明らかに体の軽さがもひとつ違う。
とりあえずまだ、病後感、いわゆる病み上がりだね、って感じはあるけど、
もう、これは「治った」で、良いのではないか・・・
けっこう気に病んでためまいもふらつきも今日はだいぶまし。
というわけで、発症から29日目、8月11日、夜明けと共に、完治宣言。
それなりに、長期化したけど、とにかく身体はすごく楽になりました。
なんかね、、巷にの情報には、後遺症、っていう話がいっぱい出ていて、
それは、もう、一部に本当にきつい後遺症の人がいるのは、間違い無い事実なのだし、
報道する意義は絶対あるとは思うんだけど、、
ちょっとやりすぎな気がするんですね。
例えばコロナ前に、インフルエンザの後遺症の話って、ほとんど取りざたされなかったけれど、
僕は、2014年にインフルエンザで、いつまでも倦怠感が抜けない、という後遺症と言われたら後遺症を半年以上経験したのですね。
もちろん、そんなの取材されなかったし、きついインフルエンザはそういうもんなんだ、と思って時期に治る、って思って耐えるしかなかった。
で、それはきっと、
もっと病中、熱が上がった後とかに、にいろんな事気をつけていたら、避けられたのかもしれないと思うので、
今の、後遺症問題の報道も、やっぱり必要も意義もあるだろうと思うんです。
ただ、なんとなく、不安、恐怖を煽る感じになっちゃてる気がしてならないのね。
その方が、読まれるからって理由で怖く、ビビるように書いてる感じがしてならない。
人間って不安と恐怖が一番商売に直結するもんだものね。
僕は、何度か話しましたけど、鬱病上がり、の人です。
だからね、一つの事に、脳みそが捕らわれてしまうと、それが、興味ある楽しい事であろうが、不安であろうが、そこから抜け出せなくなってしまう傾向があります。
怖いんですよ、これ、治らなかったらどうしよう、って思う。
思ってた。
これ治らなかったら、、、もうステージで歌えないもん。
ライブができなくなる。ミュージシャンとして終わる。
そんな大げさな事まで考えてびくびくし始めるんです。
8月6日に、明らかに大きく回復しました、って投稿したあたりまで、
「治るのか?」「後遺症として残ってしまうのでは無いか?」
「復帰できるのか?」
みたいな不安の方がずっと勝ってた。
コロナってやっぱり今まで経験したことのない症状がでたりするから、
今までとは違うんだ、っていう、自分の知らないもの、お医者さんにも実はわからない事が多いもの、
が体の中に入ってて、未だ撃退できていない、っていう気持ちの悪さ、強烈な不安感。
人生かけて、オーストラリアでの、
あんな夢見たいな場所での生活とか、
いろんなもの捨ててまでやりたかった、がんばって作り上げた
「自分の歌を歌って生きる人生」
コロナ治らなかったら、これで、終わっちゃうかもしれない。
心の弱い人間は、そんな事まで考えるんです。
そして、そこから抜け出せなくなってしまうのです。
弱虫なんですよ、基本が。
だから、絶対大丈夫、って強気の姿勢を崩さない心の持ち方、
みたいなものにも本当はどんどん疲れてくる。
でも、それで心が折れたら、どんどん不安に引っ張られていく。
気の滅入る話や、は意識的に避け、楽しい事、ばかばかしく笑える事、に集中して、
仕事ができないもどかしさや、情けなさは、
毎日寝てぼんやりしてられて、ラッキーじゃん、って思う事にする。
本来自分が持っているはずの自然治癒能力を徹底的に信じて、
絶対治る!!
って繰り返す。
そういう時に、ネットを見ると嫌でも目に入る、後遺症の報道。
やっぱり怖いのですね。
でね、、、そう言う記事見てると、正直ライターのレベルが著しく低い。
本当に必要な情報を考えてない。
後遺症、ってじゃあ、いつからを後遺症っていうの?
っていう肝心の事とかは、絶対、100%って言っていいほど、でてない。
気になる人、よーくみてみて、後遺症のニュースってのは、ほとんどが
3ヶ月以上たっても、
半年たっても、
くらいに書いては割るけど、いつからが後遺症なのか、っていう定義みたいなものは全然書いてなくてさ、、
普通に考えりゃわかるじゃん、
今、自分の状態は、後遺症なのか、まだ後遺症っていう段階では無いのか、
ってのが、知りたい人、っていっぱいいるはずなの。
なんか、そんな全然物考えてない記事書くって、報道として、デタラメな気がするのね。
だから、そう言うニュースの受け取り方、読む姿勢、って大事。
無防備に影響されない、って事、大事。
僕、すごい血圧が低くなって、98ー60とかで、100を超えないってのが、ちょっと続いてさ。
(50代平均 132−86)
で、いつまも、心拍数が90〜95くらいになってたのね。
(成人平均60〜90 高齢者で50〜70)
いつもと違うから心臓に違和感もある。
後遺症になっちゃうやつ?? って心配になる。
で、これも、ぶっちゃけて、いわゆる病後の傾向、でしかないんだそうです。
さらにいうなら、自分の心が作っているものなのかもしれない。
あ、、ちなみに、今は、115ー65くらいに戻った。
もともと普段からちょっと血圧低めなの、僕。
あんまり後遺症のニュースとかみすぎて、
医学の知識もなきゃ、自分の症状しかしらないのに、
「こうなんじゃないか、ああなんじゃないか、
これの症状なんじゃないか?」
そうやって、余計な自己判断をする事で、自分で症状を作っちゃうと思うんですよ。
余計な不安も、なくても良かったはずの症状も。
これね、、、
僕、実際にそうだと思うんです。
気の持ちようで、病気を「よくする事」ができるかどうか、はわからない。
でも、「自分で悪化させる事」は、間違いなくできるんです。
だから、綺麗な水をのみ、散歩に行き、元気な緑と一緒に同じ空気を吸う。
毎日、少しずつ良くなっている事を実感するために、歩く。
20分でやめとこう、、30分でやめとこう、1時間歩けるようになった、息切れが楽になってきた。
そうやって、
良くなってるぞ、良くなってるぞ、
自分の機嫌を自分でとっていく。
朝顔が咲いていた、
そんな事一つ、でいい気分になれるから、元気をもらえるから、
馬鹿馬鹿しいかもだけど、朝顔に、ありがとう!ってちゃんと言って、
目についた気持ちのいいものの全てに、ちゃんとお礼を言って、
もらった元気を、
気が滅入る事や、悲しいニュースなんかで、壊さないように、
もらった元気が体に染み渡ってエネルギーになるように、
どんなにだるくても、痛くても、口角上げて、
ずっとニコニコしているんです。
で、、、1ヶ月もかかってるじゃん・・
もっと早くサクッと治ってる人がいっぱいいるのに、
なんにも効果ないじゃん・・・
って言われちゃうかもだけど、
批判ってね、ほぼ間違いなく、全体像を知らずに、
いや、知ろうと言う努力もしない人がするもんなのね。
何かの発言、発表、ってのは、大抵いろんな問題をクリヤーしたり、
いろんな正論、矛盾、そう言うものを、わかってはいるけれど、
でも、こうです、って言うバックグラウンドがある。
だから、全体像、そこにあったかもしれない事、とかを見る想像力がないか、
粗を見つけて批判をする事が好きという小さな悪意か、
どちらか、なんだと思う。
僕ね、これ、もう恥ずかしいと思う、ってのもやめることにしたんだけどね、
弱いんです。病気に弱いの。
仕方ないの。
弱いからこんなこと考える。
弱いなりに、なんとか少しでも、闘う方法を考える。
僕は、子供の頃から細菌性、ウィルス性の病気に弱くて、
それを、
恥ずかしいと思ったり、悔しいと思ったり、自分の心の弱さが引き寄せていると思ったり、
実際に、それは心の問題だ、とたくさんのそういうタイプの人に言われたりして来たから、
自分は弱いのです、というのをできるだけ避けたく思って生きて来たけれど、
そういうのもやめることにしたのね。
だって、僕、頑張ってるもん。
これ、ずっと抱えて生きて来てるんだ、僕は強いよ。
自分で、強い、って今は思う。
人によって違うんだよ。って主張することにした。
正しいとか、間違ってるとか、どうでもいいな、って。
僕は、この年までいろんなことやって、すごい数の人にあって、
すごいたくさんの嘘も聞いてきて、
勉強もせずにいい加減な事を語る大成功者も、
聖人のような貧乏人も、
すごいたくさんの矛盾も、、うやむやに無かったことになってる断言も、
いっぱい見て、聞いて生きてきて、
正しいこと、なんて、世の中にたぶん無い。
自分にとって、何が良いか、だけだ。
だから、誰も悪く無いし、きっとなにも間違ってない。