朝に投稿した、
    
ビリー・ジョエル  /  グッドナイト サイゴン

の和訳です。
   
ビリー・ジョエル と言う人は、音楽的才能、の部分ばかりを見られがちだけれども、
歌詞の深さ、表現の巧妙さ、緻密さ、そういう文学的なセンスが突出してるんですね。
だから、朝の投稿でも書いたように、ネイティブでも人によって受け取りかたが違ってしまったりする場合もある。
ここで書く和訳は、あくまでも、僕とサム、ふたりで、ここはそう言う意味だよね!!って僕らが納得したもの。
ミリタリーの知識がなければわからない部分もあるし、違う和訳があっても少しもおかしくない。
それ、ご理解ください。
    

        

    
ソウルメイトとか、そもそも雰囲気のわかりそうな言葉はそのままにしました。
必要なものは、下に、解説もつけました。

和訳を読んでもらって、ぜひまた聴いてほしい。
ポピュラーミュージックができる事、の最高峰だと思う。のです。

そして、戦争を決めた人間は決して銃撃にさらされることはない。
僕も、この年になったらもう、そう言うことはないだろう。
      
    
行くのは、訓練すれば重いものを持って走れる若者たちです。
     
  
僕は軍備を否定してない。
世の中に、どうにもならない事がある事、仕方のない事、がある事も、理解している。
ただ、僕は、真っ先に戦争に駆り出されることはもうない人間です。55歳だもんね。
  
知った風な顔して、、、
世界情勢をわかったふりして、、

それも仕方がないんだ、みたいなことは
僕は軽々しく言えない。
   
    

     

       
Goodnight Saigon
 

We met as soul mates on Parris Island
僕らはパリスアイランドでソウルメイトとして出会った 

We left as inmates from an asylum

新兵訓練基地から収容者仲間として放り出された  注1

And we were sharp, as sharp as knives                

僕らは研ぎ澄まされててた、まるでナイフのように
 

And we were so gung ho to lay down our lives  
そして、自らの命を投げ出す事に躍起になっていた  


 

     

We came in spastic like tameless horses  

僕らは飼いならされていない馬の様に震えていた
 

We left in plastic as numbered corpses   

僕らは番号がついた死体となって
プラスチックの袋に放置されていた  :注 2
 
 

And we learned fast to travel light

最低限の荷物で移動する術を即席で学び
     

Our arms were heavy but our bellies were tight   
腕は重くて、でもいつも腹が減っていた   :注3     

  
 

We had no home front, we had no soft soap  
俺たちには、ホームフロントはなかった  :注5
柔らかい石鹸もなかった

         

They sent us Playboy, they gave us Bob Hope

プレイボーイマガジンが送られ、
ボブ・ホープのラジオ番組があてがわれた  :注6
 
         

We dug in deep and shot on sight

深く穴を掘り、見つけ次第銃撃し

        

And prayed to Jesus Christ with all of our might

そして全身全霊を込めてジーザスに祈った

 

   


 

We had no cameras to shoot the landscape

景色を撮るカメラもなかった

 

We passed the hash pipe and played our Doors tapes  
マリファナのパイプを回し ドアーズのテープを聴いてた

   

And it was dark, so dark at night

夜は暗く、とにかく暗く

    

And we held on to each other

僕たちはお互いを支え合って

  

Like brother to brother

兄弟同士のように支え合っていた

    

We promised our mothers we'd write

いい残ったものがみんなの母親に手紙を書くと約束した :注7



 

And we would all go down together

だが、僕らは一緒に倒れてしまうのだろう

We said we'd all go down together

僕らは一緒に死ぬんだ

Yes we would all go down together

そう、僕ら全員、一緒に死ぬんだ

 

   

 

Remember Charlie, remember Baker    
チャーリーを思い出す、ベイカーを思い出す  

 

They left their childhood on every acre

彼らは子供時代を全ての土地に残していった :注8

 

And who was wrong? And who was right?

誰が悪い? 誰が正しい?

 

It didn't matter in the thick of the fights

苛烈な戦闘のなかで 
そんな正論にはなんの意味もなかった

  
 

We held the day in the palm of our hands  
僕らは昼を手中におさめてた   :注9

 

They ruled the nights, and the nights

彼らは夜を支配していた。 そしてその夜 

    

Seemed to last as long as six weeks

on Parris Island

その夜は、長かった、

パリスアイランドの6週間のように  注:10

    

 

We held the coastline, they held the highlands

僕達は海岸線を制し、彼らは高地を制していた

 

And they were sharp, as sharp as knives

そして、、彼らは、ナイフのように研ぎ澄まされていた。


 

They heard the hum of our motors

モーターの唸る音を聴き

 

They counted the rotors

ヘリコプターの数を数え、、  :注11

 

And waited for us to arrive

僕らが来るのを待ちぶせしてた

 


 

And we would all go down together

そしてきっと僕らはみんな死ぬんだ

We said we'd all go down together

僕らはみんなで死ぬんだろう

Yes we would all go down together

そう、僕らはみんな一緒に死ぬんだ





解説。
正しいかどうか、、は、ビリー・ジョエルにしかわかりません。
僕とサムは、こう思った、という解説です。

   

注1

パリスアイランド Parri sIsland

サウスカロライナ州にある新兵訓練基地、

inmateは、主に囚人,受刑者などを指す言葉、Asylumは、言葉自体は「収容施設」の意味だが、孤児、精神薄弱者、亡命者、などの収容所、あるいは精神病院を指す言葉で、

ここでは、猛烈でキチガイじみた、と言われる辛い新兵訓練をするパリスアイランドの訓練基地を、精神病院などの収容施設にたとえ、そこから放り出された囚人仲間、と言うニュアンスにしている。

 

 

注2 

和訳は直訳。自分たちはもう「どうせ死ぬもの」「既に死体同然」として「扱われていた」または、「自分たちがそう感じた」という事を表現している。

 

注3 

腕は重い arm には腕、以外に、武器、軍備、という意味がある。

銃火器などは充分に与えられたが、腹は減っていた、

と、言う意味にもとれるし、

bellies were tight は、緊張で腹がキリキリしている、という意味にも取れる。

また、銃火器(戦力)は手厚い 待遇だったが、まともな食事は与えられなかった、人間扱いはされていなかった、という意味にも考えられる。

    

   

注5、6

ホームフロントは、日本語では「銃後」軍備、物資を補給するための基地の事。

ボブ・ホープは、有名なコメディアン。 ベトナム戦争の慰問活動を盛んに行っていた。

ホームフロントがなかった、という歌詞から考えて、おそらくここでは、ボブ・ホープのラジオを指しているのではないか。

 

 

注7

直訳なら「僕らは母親にに手紙を書くと約束した」としか言っていない。

  

  

注8

チャーリー、ベイカーは、ミリタリーの言葉で、

「チャーリーのC 」「 ベイカーのB 」 とアルファベットの聞き間違いを防ぐために使われた用語。

純粋に人名の可能性もあるが、二つ並んでいる事を鑑みれば、チャーリーとベイカー、が、軍生活、戦地生活、の中で死んで言った仲間を、軍用語とかけていると考えられる。

死んでいったものたちが、少年から極限状態のなかで急激に人が変わって行った様を、

子供時代をすべての土地に残していった、そしてそういう彼らの子供時代を自分たち生き残っているものは知っていた、という事を表現している。

 

注9

Palm  は手のひらと、ヤシの木、と意味が二つある。

昼間のヤシの木、手のひら

 

 

注10

彼らは夜を支配していた、

そして、、その夜は、まるで、パリスアイランドの永遠に続くかのように思えた苛烈な6週間と同じくらい、たった一夜が長続いた、、

 

 

注11

Rotors  ローター ヘリコプターのプロペラの事


こちらには、ライブバージョンをつけます。