ブリスベンという街がある。
入江の川に囲まれた美しい街、2032年のオリンピック開催都市だ。


 
1988年、僕が21歳で初めて訪れた年に万博があった。


当時僕の奥さんはツアーガイドで、この会場に毎日のように日本人観光客を案内し、
僕はこの万博会場の灯りが見える、自然に囲まれたユースホステルで、1週間でなぜかオーナーに気に入られ、無料で泊めてもらって、その代わりに掃除やら買い物やら手伝ってた。
   

               
それから、12年くらいして、、僕は永住権も取り、

ブリスベンから110キロくらいあるゴールドコーストの街で暮らしはじめて、
そしてまたしばらくして、「若い時、ミュージシャンになりたかったんだ」を思い出し、
毎週金土に、ブリスベンに車で通っては、チャイナタウンでストリートミュージシャンしていた。





この場所のはす向かいに、こんなチャイナタウンの鳥居があった。


 
奥さんと出会った事、
ミュージシャンを始めた事、
お給料をもらったわけではないけど、初めて働いて無料で泊めてもらう、
つまり海外で「仕事」をした事、
   
ブリスベンにはいろんな思い出がある。
   

そういうわけで、その、ちょっとお手伝いして無賃宿泊させてくれたユースホステルの話、



ユースホステルのオーナーは、
ランダル、という人だった。
おそらくは、40歳くらいだったと思う。
  
Randall

日本では、ランドール、と表記されてしまう場合がおおいのだが、
発音の感じはランダル、だ。
ほっそりして背が高く、すごいオシャレな家に住んでて、
「ヒゲの濃いインテリ」だった。
       
   
なんだかユースホステル協会の規則では、
1週間しか連泊できないらしく、そんな事情を知らなかった僕は、
1週間過ぎて、ランダルに、あと1週間いる、って行ったら、
それは規則でできないんだ、って言われて、、、
              
ランダルは、じゃあ、こうしよう、
お金は払わなくていいから掃除とか、手伝ってくれ、
そしたら「宿泊者」ではないから、
     
って言い出して、願ったり叶ったりですから、、
じゃあそれで、って事で、
   
結局僕はそこに3週間いた。
この3週間の間に、ものすごい英語も上達して(21歳だもんねぇ)
このままいたら、3ヶ月もしたらペラペラだーなんて思った。
  



最初に僕がランダルのユースホステルに(宿泊者)着いた日、7、8人の若者がすでに宿泊していて、なんだか、全員が妙に仲が良かった。グループで旅をしてるのかな??って思うくらい。
でも、みんな別々、アメリカ人、カナダ人、フランス人、オーストラリア国内、ドイツ人(その頃は西ドイツ)
たまたま同じユースホステルに泊まっただけの関係だった。
     
そこに、仲間に入れてもらって、僕だけが英語が下手だった。
まだ、オーストラリアに来て1ヶ月も経たなかった頃だからね。
それでも、なんとかコミュニケーションは取れるようになっていて、みんなの中では一番年下だった事もあって、なんだか結構いろいろ面倒を見てもらった。ちなみにカナダ人は韓国系で、僕と彼は東洋系、アメリカ人は一人はNYから来た白人女性、一人はカリフォルニアから来た黒人だった。
    

     
このメンバーで、5日間ほど、過ごした。
        
みんな同じくらいの時間に起きて、、森を望むテラスの大きなテーブルで朝食を摂り、それぞれコーヒーや紅茶を飲んで誰かが作ったマフィンなんか食べ、昨日あった出来事を冗談めかして話していたり「日本人といえば空手」みたいに思ってるルイーズっていうメルボルンから来た女の子が、とにかく僕にいちいちちょっかいを出して来て、その都度「あちょー」というから、それは空手じゃねえから、って教え「僕は空手はブラックベルトのマスターだから」とか当然簡単にバレると思っていた嘘を実は最後までルイーズは本気で信じてて、、、フランス人には自分たちの名前を漢字で書くとしたらどう書く、とか教えたり、全員で万博に行こうと、どうせなら、歩いて行こう、と、、で、全員で森の中を歩いて万博に行ってみんなで会場を回って全員でピザを食べたり、

僕はいつのまにか、下手なりに英語で話すのも当たり前になっていて、
年齢の近いみんなで、テーブルを囲んで、ジョーク大会をやったり、、
なんだか、映画の中にいるような気分だった。


みんなそれぞれ、別々に旅しているから、、、5日もすると、誰かはまた次の場所に移動したり、国内組は家に帰ったり、とバラバラになって、それ以来一度もあっていない。連絡先を交換しあったりもした覚えはあるけれど、その後連絡を取り合うこともなかった。旅はそれでいいんだ、というか、そういうのがいい、って思ってた。
     

最初に、ユースホステルから、出て行ったのが、NYから来た、クレア、という女子だった。


すごい美人で、背が高く、なんだか、いかにもかっこいい。
外に出るときはいつもサングラスをかけてて、それがまたなんともかっこよくて、
でも、すごく優しくて、世話焼きで、姉さん肌、とでもいうのか、まだ英語がうまくない僕のそばにいつもいてくれたし、なんでだかいろいろおごってくれた。
     
だから、明日でクレアがいなくなる、っていうのは、すごく淋しいことで、、
朝、最後にクレアとお別れして、、、って思うのがとても悲しかった。
  
ここで、ひとつ、事前情報。
その頃、ブリスベンのその辺りでは、わりとみんな寝るときに鍵をかけてなかった。
いや、家にもよるんだろうけど、、少なくともそのユースホステルでは、
施錠、ってのがあんまりしっかりしてなくて、誰もいなくなる時だけ、鍵をかけるって感じだったのね。


クレアとお別れの朝、
 
寝てたら、、フランス人のジャンリュックが起こしに来て、
   
「クレア、朝早いうちにいなくなっちゃってたよ」

っていうのね、、、

ええええええええええーーーー!!

って思って慌てて、起きてリビングに行くと、そこに置手紙があって、、、


お別れの挨拶みたいなのが嫌だから、、
会わないで、みんなが寝てる間にでかけます。


と書いてあって、
最後に、


~~~~~~~~~~~~~~~~~~

Thanks!!    R  and ALL !!

        Lots of LOVE      CREA

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一瞬、どうういうこと??
って思ったんだけど、、、、

「R ans ALL」   

Randall

ユースホステルのオーナーの名前にかけて、


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

サンキュー
ランダルとみんな!!

    愛を込めて  クレア

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
          
という意味だ。
   
しびれたなー、、、、かっっけーーー!!って思った。

クレア、当時26歳だった。
今年、60歳かぁ、、、、

元気かなぁ、、、
  
「R ans ALL」   

って書いたこと、おぼえてるかなぁ、、、、、
     


国は違っても、みんな同じ人間。
戦争おこらないといいな、、、
    

   
ドンパチ始まったら、なんて軽々しく言う人いうけどね、、
ドンでもパチでも、人の体がバラバラに吹き飛ぶんだよ。
     
そういう言葉なんだよ。
 

 

 




 

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