結婚25周年です。
   
僕んちの夫婦は
1997年の「オーストラリア デイ」(Australia Day)1月26日、に結婚しました。

だから、今年で結婚25周年。
銀婚式って言うんだね。
       
出会ったのは1988年だから、もう、34年になる。
  
            

     
1988年6月10日の夜、      
僕は、シドニーのセントラルステーションで、バスに乗った。
いろいろ訳ありだったりものだから、6月10日のバスに乗った、という事をよく覚えている。
シドニーで知り合ったスティーブが見送りに来てくれて、、
僕がバスに乗って発車を待っていると、なぜか、スティーブが乗って来て、、
あれ??って思ったら、、、
   
「Don't look!」
    
と言って、側から見えないように指で斜め後ろを指し、、
     
「あそこに座っている数人は、人種差別主義者だ、
 そういう会話をしている。
 なるべく目立つな、騒ぐな、問題が起こったらドライバーに言え
 長距離ドライバーは安全運行のための権限を持っている。
  じゃあ、気をつけて、安全にな!」
と言って、僕の肩を一発ぽんと叩くと、バスを降りた。
         

ブリスベンまで15時間
翌、6月11日の昼近くに、バスターミナル
ブリスベントランジットセンターに到着した。
      
僕の奥さんは、当時ブリスベンでツアーガイドをしていた。
その日、ガイドする観光客の飛行機が遅れて、
今のようにスマホなどないから、時々公衆電話で本部と連絡を取りながら、
何時に到着するかはっきりしないお客をぼんやりと待ってた。
そこに、僕がシドニーからついてバスを降りた。
   
「あ、日本人だ」と思ったそうだ。
で、ホテルを探しているな、と思ったので、
「ホテル探してますか?」
と、奥さんが声をかけてきた。


なので、いまだに、「逆ナンされた」と僕は言っています。

ちなみに、僕はホテルは探してなくて、、、
適当に、そのあたりブラブラ歩いて、考えよう、って思っていたので、

「あ、、ホテルは探してないんで、大丈夫だけど、
 とりあえず、電話番号教えて、デートしよう」

って電話番号もらって。
で、、、その日、街をフラフラして、出会った人とかにいろいろ話を聞いて、
むしろまず郊外から攻めよう、と、街からバスで20分ほどのところにある、
ユースホステルに電話をして、宿を決めた。
そして、その夜に、奥さんに電話をしたら、、
       
  
まあ、当たり前なんだけど、、、
外人の女性が電話にでて、、、、
なんというか、、、ユースホステルを予約するは、割とうまくできたのに、
女の子の家にやややましい気持ちもありで電話をしてホストファミリーが出てきた、
っていうことに狼狽して、、僕の口からでたのは、、、ちゃんと名前も聞いていたのに、、

「ああああーー、、ええええーーー、
 ジャパニーズガール!」

だった。

そこから、結婚するまで10年ちかくかかったのだな。

そして、ああああジャパニーズガール!!
から、もう34年。



良く我慢したな、って思います。
良く頑張ったって思う。
   

       
僕が京都で交通事故で入院した時、全部で2ヶ月半、
顔右半分、なかなかいい感じにどっかーんと行った。
これが、今現在、2月25日手術を待っている右目の後遺症の元になる大怪我だった。
  
ちょっと面倒な手術だったので、それができる病院が京都市内中心部からは離れてた。
         
片道バイクで45分かかる道のりをほぼ毎日通ってきた。
  
多少動けるようになってから、手術までの1ヶ月は、
口がワイヤーで固定されてるから、流動食しか食べられず、
それはあまりにもかわいそうだって、
ホワイトシチュー、ビーフシチュー、カレーシチュー、
そんなものをミキサードロドロにしたものを、水筒に詰めて持ってきた。
その時に、この人と結婚しようって思った。
  

        
いろんな歴史がありました。
語り切れるもんじゃない。
     
    
34年前の6月11日の夜、
電話をかけて、
「ああああ、ええー、ジャパニーズガール!」
と言った相手、
奥さんの、当時のホームステイ先は、一人暮らしのカンタス航空のCAをしている女性でした。
  
      
その後、彼女も結婚し、
実は、今でも僕らの関係は続いています。
オーストラリアに行けば、必ず会う。



クロヌラ、という、
シドニー中心部から、電車で1時間ほどの街に住んでいます。
 

   

不思議なもので、去年、たまたま二子玉川で展示会をしていて
見つけて、どうにもプリントではなく、原画が欲しくて欲しくて、
手配してもらって絵を一枚買った。


 


MULGA(モルガ)というアーティストで、
アディダス/レッドブル/トヨタ/コカ・コーラ/スバル/資生堂など
グローバル企業とのコラボもいろいろやってるんだけど、

 

    

この人が、実は、クロヌラ在住、子供の頃からの地元民だった。
小さな街なので、いずれは会えるかもしれないな。


結婚式もない、その時には婚約指輪もない、
永住権する、を目的に、仕事は決まっているけど、たった20万円しか持ってなくて、
1996の7月にオーストラリアに渡り、良く年、1997年の1月26日に結婚した時は、
まだ、食べるので精一杯だった。
永住権の一歩手前の段階、
その後のビザの取りやすさ、を考慮して、
まだ、奥さんは英語学校に通う学生ビザだった。

永住権を取ってから、かな・・・
経済的にもだいぶマシになって、、、
アメリカの知人に手配してもらって、ティファニーのマリッジリングを買った。
  


これも、そろそろまた、一回ちゃんと磨いてあげないとだなぁ、、

僕は宝石鑑定士なので、その後、
昔店長をしていた、京都の小町ジュエリーでお願いして、
ハート型のダイアモンドで、結婚指をを買ったのは、またそのちょっと後だ。
少しずつ、世間様に、負けないように(笑
なんて思って積み上げていった。

  
  
結婚して、、25年かぁ、、びっくりする。
早いね、ほんとうにいろんなことがあった、
25年前、今、また日本に住んでる、なんて考えもしなかった。
あんがい、そこそこ波乱万丈だったのかもしれない。

    

      
たくさんの人に、夫婦長続きの秘訣は??
って聞かれる。

そんなもん、ないです。
奥さんの度量、だけです。
     

   
僕は決していい旦那ではなかったと思う。
大事にしていなかったわけではない。  
僕なりに、一生懸命やってきたつもりはある。
        

ただ、人生のほぼ全て、
大事なことの全てを、自分の思い通りにやってきて、
僕は好き勝手に生きていただけです。
僕の奥さんは、なんの文句も言わず、ただただ、やりたいようにやりなさい、
と言って、ついてきた人です。
     
    
長続きの秘訣は、奥さんの器量、度量、だけだったと思います。
僕が第三者なら、

よくまあ、あんな旦那、見捨てなかったね、って思う。
   
ありがとう、しかない。
        



          
自転車、という歌があります。

この曲の最後に出て来る、掛け声、

「ああああ」

の声の主は、実は、僕の奥さんです。



あ、、Spotifyとかある人は、ぜひ、このサイトから、
サブスクで聴いてもらうなり、、
なんなら、ご支援してやるぜ、って方は、ダウンロード購入していただくなりだと、
ほんとは嬉しいけど、、、
    
   
その前に、

この動画で全部聴けます。

 

 

僕んち夫婦の記念の話だから、みなさんには関係ないんだけど、、
奥さんの声が入っているのは、この一曲だけです。
でも、すごいいい味でてて、、、
 
実は、僕の中では、夕焼け空を飛んでいく、
カラス、をイメージした声なのです。
(僕、カラスに悪いイメージ持ってない人です)
        

   
よかったら、聴いてやって。