50代過ぎの人なら、スケボーが日本に入って来た頃を覚えていると思う。
     
     
たぶん、レイフ・ギャレットだったかなぁ、、
    

   
なにかの映像で、
スケボーで車の屋根からボンネットを通って
地面に着地するシーンがあって、
すごい憧れた。
  
    
近所のホームセンターみたいな大型店でスケボーが売ってる、
という話になって、親に頼み込んで買ってもらった。

オリンピックでも出て来た、今の一般的なスケボーとはちょっとちがって
こんな感じの、セルロイドみたいな素材で、大きなホイールだった。



僕のは赤だったけど、ほんと見た感じはこのまんま。
なつかしー。

今はこんな形だもんね。

    

近所に、子供公園わんぱく村、と言う割と大きな公園に
敷地の西側に沿ってぐるっと旋回するアスファルト路のゆるいカーブがあって、
もう、子供がスケボーするのにまさにうってつけの場所だった。
  
大人になって、オーストラリアから帰って来て京都に住んでいたころ、
歩いてすぐ行ける、西京極総合運動公園で、スケボーをやっている10代の連中がいて、
今のストリートスケートボードが出始めて、、
飛んだり跳ねたりしてて、、
なんだか、すごく羨ましくて、で、
大人になった財力でまあまあちゃんとしたスケボーを買った。
 
そして、西京極総合運動公園にいって、
スケボーキッズ達のところに行って、

「それ、どうやんの?」

って聞きに行った。
           
当時僕は、24、5歳だけど、この10代のスケボーキッズ達が面白がって、
寄ってたかっていろいろ教えてくれて、、
結構短期間でなかなか上達して、、
そりゃ、もうすごい練習したもんだから、
1年くらいでスケボーはだいぶボロくなったし、
新しいもっとかっこいいのを買おうと思ったら、
当時の彼女(今の奥さん)が、誕生日にと買ってくれた。

スケボーショップに行って、ボードとウィールとって全部選んで、
組み上げてもらって。

ある日、彼女(今の奥さん)と一緒に西京極総合運動公園に行って、
広い階段から、飛び降りたら、バランスを崩して後ろにひっくり返り、
頭を打った。


気づいたら、周りに人だかりができてて、
救急車の音が聞こえた、、
  
「あ、、大丈夫です」

って行ったんだけど、しばらく気を失ってたから、
とにかく病院に、、、と、言われ、救急隊も来ちゃったし、
病院にいって、
結局、脳震盪だけかな?くらいで様子見になったんだけど、
 
彼女(今の奥さん)にしてみれば、自分が買ってやったスケボーで
   
死んだ??

みたいな恐怖ですから、以降、スケボー禁止になり、
僕も隠れてやってはいたものの、なんか、転んで頭打ったトラウマもあり、
そのうちやらなくなった。
   





オリンピックでスケボー??
って、なんかピンとこなかったんだけどね、、

いざ始まったら、やっぱり面白くて、
昔一生懸命やっただけに、
         
どれほど難しいことをしているか、
あれが、実際にあの場所から飛んだとき、どのくらい怖いか、
で、転んだらどんだけ痛いか、
      
そんな事ももわかるし、
だからこそ、あんな風に飄々と演技してのけるのが、
もう、ほんと、異次元。
          
  
なんか、すごいなぁ、、、、
オリンピックでスケボー。
    

それにしても、名言だった。
思った通り、ネットで話題沸騰。
     
そりゃそうだ、

口調、タイミング、言葉のチョイス、そして許せるギリギリに臭い、   
あんな名言、そうそうない。

      
13歳 真夏の大冒険!!
     
    
西矢選手のトリックが決まって、

すっっっっ げー、、

って思っているところ、
   
倉田アナの、絶叫まではしない、でも、熱く、絞り出すような

「13歳!!  真夏の大冒険!!」

 

  

言葉が届いた瞬間に、よくわかんない感情が押し寄せて、
なんだか、どば、っと涙がでてきた。

 
あれ、なんだろう、、
もう、、ほんとうにおじさんになったんだなぁ、、

 


      
13歳、孫でもありえなくはない。
素晴らしい真夏の大冒険だったね。

おじさんも、スケボーに夢中になった時代があったよ。
夜な夜な公園にいって、バタンバタンって、やってた。
   

 

   
いいものみせてもらった。
金メダルに、少しだけ、自分の辿って来た歴史も重ねたりさせてもらった。

本当にありがとう。


 

動画共有ができない動画なので、
なんの事かわかんないかた、ぜひ観て欲しい。
  

 






当たり前に売り切れております。