2008年くらいから、日本とオーストラリアを行ったり来たりして、
その頃は、日本半分、オーストラリア半分、で生きていけないものだろうか、、
って、考えてた。
       
まだ、日本に完全帰国する、ってところまでは考えられてなくて、、
で、、2010年に、とにかく一回日本で暮らしてみよう、って、、
奥さんをオーストラリアに置いたまま、単身赴任、だよね、いわゆる。
                
その時、いろいろお世話になった方がいて、
その方のお計らいでもあって、鵠沼に住む事になった。





小さなアパートだったけれど、なんとも居心地のいい
なんだろうなぁ、、いい歳して言う事じゃないかもだけど、、
夢が詰まった小さなアパートだったのね。
    
      
その頃、とにかくお金がなくて、
ディスカウントショップで自転車を買って、
自転車でいろんなとこ回ってた。
それがまた楽しかった。
    
   
仕事はまだ、なかなかなくて、やり方もわかんなくて、
たくさんの人にお世話になって生かされてる状態で、、
  
でも、焦っても仕方ないかなぁ、
なんて、ノンキで・・・
          
鵠沼、江ノ島、は、人生で一番お金がなかった頃、
缶コーヒー1本を我慢するような生活をしていた時に、
いい歳して、お金がない、、ってなって、本当なら相当焦ってなきゃいけないのに、
それなのに、なんだか、妙に幸せで、貧乏すら楽しんでたような、
ほんとうに思い出深い場所なのです。
     
        
中でも一番大きな思い出は、稚児ケ淵レストハウス。
         
片瀬海岸から弁天橋を渡って江ノ島にはいって、
お土産屋さんの立ち並ぶ参道抜け、山を登って、サムエルコッキング苑、が頂上、
そこを越えると、海を見渡すお茶屋さん、食堂が並んでるから、みんなここでなんか食べちゃう。
    
江ノ島神社の奥津宮を抜けて、石段を降りてゆく途中にも、
食事をするところはいろいろあったりするんで、
ここで、残りの人も食べちゃう。
      
      
そして、海を臨む岩場まででると、そこが稚児ケ淵(ちごがふち)
  
   
そこに、海の家と居酒屋の間みたいな小さな店があった。



稚児ケ淵レストハウス、
   
     
冒頭の写真、この店からこんな風に見える、という風景です。
すごい人気で行列になっていたとしてもおかしくないはず、
    
それが、なぜか、
    
いつ行ってもほとんど人がいなかった。
僕が、たいてい、午後3時、とか中途半端な時間にいくからだろうけど、
それでも、他の店は結構混んでいても、
稚児ケ淵レストハウスではほとんど人に合わなかった。
    
 



こんなロケーションなんだよ?
僕はいつも暇なのが不思議でならなかった。


ちょっとお金が入ると、この店にきて
今日は、1500円くら大丈夫だなぁ、
なんて、思って、いつもこの

焼きそば、って書いた赤いピラピラの下の席に座って、

あじのタタキだの、イカ焼き、だのと、
ビール頼んで、

ぼんやりいつまでもここにいた。
   
江ノ島あたりからほとんど出たことがないという、
ここしか世界知らない、みたいなおばちゃんがやってて、
音楽はサザンしかかかってなくて、猫がいて、
おばちゃんは双眼鏡を貸してくれるので、
双眼鏡で遠くの船を見たり、

そうやって、一回いくと、2時間くらいぼーっとしていた。



よく見ると右側にちらっとだけ写ってるけど、
おばちゃんは、愛想はいいけど静かな人で、
仕事の事とかなんにもきかない。
料理もなんにも薦めない。
   
   
双眼鏡貸してくれて、猫が帰って来たよ、とか、
猫があそこで寝ちゃったよとか、今日は海が静か、とか、
ほとんどそんな会話しかしなかったと思う。
    

だからきっと、今会ったって、僕の事なんか覚えていないだろうし、
僕もおばちゃんと道ですれ違っても、たぶんわからない。
  



僕が鵠沼から、溝の口あたりにある今のところ移り住んで、、
長いこと行かず、ある時、用事で江ノ島に行くことがあったら、
こうなってた。






そういえば、おばちゃんが、
「老朽化でいつまでつづけられるか」
って話してたような覚えがあった。

 

でも、



改装、だから、

お店が新しくなるのは残念だけど、
でも、お店がなくなるのではないから、


と思って、新店舗になったら必ずこようって思ってた。

これ、もう結構前の事、、
平成27年だから、2015年だ。
  

それからしばらくしたある日、また用事で江ノ島に行くことになって、
稚児ケ淵レストハウス新店舗を楽しみに用事を済ませ、
うきうきで、江ノ島の天辺を越えて、岩場にでてみると、




稚児ケ淵レストハウスは、

「稚児ケ淵レストハウス」

という名前を残して、
展望台のある多目的トイレになっていました。




この辺りはトイレがなくて、上まで上がらないとならなかったので、
便利です。
  
稚児ケ淵レストハウスはお役目を終えて、
新しくきれいなおトイレとして復活しました。
   
と、ものわかりよく納得できるもんじゃないんだね、人間って。
いろんな事情もあったのだろうし、
たまに飲みに行ってただけの僕がどうこう言える立場でもないわけで、、
そこはもう、これが最善だったのだ、と納得しようと思いました。
なんにも文句言うつもりなんかない。  
これで、きっとよかった。
   
でも、正直、

ただ、時々いったお店が公衆トイレになっただけ、
    
  
なのに、胸が張り裂けそうになりました。
恥ずかしですが、本当に涙がでました。
           
時々足にじゃれて来た猫も、おばちゃんも、
双眼鏡で見た海も、思い出は消えない。
それでも、もう、
二度と、一生、稚児ケ淵レストハウスには行けないんだ。
はっきりとわかったら、なんだか
心臓の輪郭がわかるほど、胸が痛みました。
  



この午後3時はもう一生ない。
         

  
なんだろう、今日、急にそんなことを思い出しました。
     
  
江ノ島、また遊びに行こう。


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