若いミュージシャンの人とかに、

「感情をこめた歌」「情景を伝える歌」って、どうやったらいいんでしょう。
って訊かれたり「歌でこんな事を伝えたい」って、熱く語られたりする事があるんですね。
  

正直なところ、僕、あんまりピンとこないのです。
それに、そんなの、わかんないです。
  
  
僕はよく「メッセージ性がつよい」って言われる事があって、
それはきっと「歌っている内容をよく伝えられている」って事なのだと、
あくまでも調子よく自分の都合のいい解釈をして、好意として受け取ってはいますが、
本人的には、一生懸命メッセージを伝えてるとか、
なにかの思想を訴えている、とか、そんなつもりはあんまりないのです。
       
だって僕は、歌、を歌っているだけだから。
  
歌、というのは、つまり、

「メロディのついた、単語、文節、文章」
   
なのですね。
   
     
言葉とメロディがほんとうにしっかりリンクしてできあがった良い歌、
結局のところ、名曲と呼ばれていたり、人気があったりする歌って
大抵はそうやって、完成している。
     
文字通り「完成品」なんです。

悲しい事をつたえるために、その伏線やらいろいろ考えて、
そこで悲しさが伝わるように歌はできている。

楽しい事や開放感を伝えるのに、そのための情景やスピード感
センスと技術と経験を注ぎ込んで、そう伝わるように歌はできている。

そこに付け加えるものはないんです。
「演奏」だけをするべきだと思っています。
  




ライブで歌う時、感情をこめる、なんて考えた事もないし、
情景が伝わるように、なんて思いながら歌った事もない。
ただただ、歌を、理想的な形で演奏できるように、
それしか考えてない。
  
プレーヤーに徹する

という意識なのです。




ただ。


練習はちがうのです。
  
歌は「完成」している。
メロディと言葉、があって、もうそれ自体は動かしようのない物として完成している。
          
ところが「演奏」はなかなか完成されたものにならないです。
その日の調子もあれば、考え過ぎて崩してしまう事だってある。

歌エッセンスを、損なわず、歌に対しての自分の解釈が、できるだけ的確に伝わるように、
普段から、どう歌いたいのか、それは、漠然とした

「こんなふうに」

ではないんです。

もっと、明確に、どこを、どんな歌い方で、この文字を、どんな声で、
そこまで突き詰めて考えていきます。





名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る椰子の実ひとつ

             

流して歌えば、ただ文字とメロディは伝わります。
完成されているのは、その部分です。
とは言っても、
ここには、
     
遠いどこかの島から、
何ヶ月も海を彷徨い流れ流れてその砂浜に辿り着いたであろう椰子の実を見つけた夕暮れ
と言うものすごく詩的な情景が、そこに含まれている。

それを、どうやって、そのまま伝えるのか、が重要になってくる。
練習は、その伝え方を形作り、反復練習によって、瞬時に表現できる状態を作るためのものです。

な も しらーぬ、がいいのか、
なーも しらーぬー、がいいのか、

そんな事一つ伝わり方って変わる。
じゃあ、どうかわるだろう、って事まで考える。
そこを納得する形にしたら、ほんとうに効果的なのか、
それで、ほんとに、名も知らぬ、という言葉が、

「どこからかはわからないけど、きっとどこか遠い島だろう」
 
と水平線を見つめた人の心もちを反映するだろうか。

そんな風に考えていく。



どれがいい、じゃない。
   
    
しっとりと、情感ありきで歌うのか、
ただ、言葉を正しく伝える、を目的にするか
南国っぽい楽しさをレゲエのビートに乗せてなのか、

   
明確な目的に沿ったビジョンを持っている必要があり、
それが、無事に狙い通りお客さんと共有できた時、
いい演奏、いい歌、伝わる歌、になるんじゃないのかな。
きっと。
   
そのために練習でその歌を、自分思う伝えたい形に練り上げていく
   

結果として、それが聴きての心に響いてくれるなら、
それはもう、そうなるように、と練習で作り上げた

「形」

を、理想に近く演奏できた、
という事だと思っています。
     
     



なんの練習もなく、
歌は覚えました、ギターのコードも覚えました、

それをステージで

あー、椰子の実が落ちてる、
遠くから来たんだなぁ、
ここは黄昏のビーチだなぁ
   
って思いながら歌うとか、そうい事では絶対にないんです。


ただただ、練習がんばって、
こ「うなりたいという形」を再現するための

プレーヤーに徹する

という意識が基本かなぁ。・・・

        



なんかまさにそうだと思う。
   
うっせえわ、って歌いながらAdoさんは、
「うっせえわ」とイライラしてキレてもいないし、
「あなたが思うより健康です」と、皮肉めいた誹りも心にはないだろう。
そもそも高校生なんだから。
      
   
ただ、その歌詞が歌が、その通りに伝わるようにとすっごい考えて練習したって可能性はあるけど、
そうじゃなくて、ちょー努力家だったら申し訳ないけれど、

僕が思うに
おそらく彼女の場合かなりのところまで天然で、瞬時にそれを再生できる能力を持っているのだろう。
      
だから伝わるし、面白い。







演奏時に感情をこめて歌う、

が全てにおいて間違いだなんて思ってない、
ただ、それに頼るには違うように思う。
     
練習もあり、経験もあり、形も完璧にできあがったその先に、
さらにそこに正しく感情のこもった歌はほんとうにキョーレツだ。
もう、なんだか、歌い手自体が歌、になってるような、不思議な感覚がある。
人自体がもう、うたになっている。

数は少ないが僕はそういう歌を聴いた事がなんどかある。
それは、ただただ、才能、でできる事ではないんだと思う。
 

  
    
そこまで、の歌を歌える日がいつかきたらいいな、って思う。
だから練習するのです。
    

  
この話、トークで話していくと、もうどんどんいろんな事がでてきて、収集つかなくなるくらいの引き出しがある。
文章で書けるのはこのくらいかなぁ、、、

これが、そういう事の出発点ですね。
   
   



クラブハウスで、ときどき練習を垂れ流したりしてるものだから、
  
なるほどーと思いました、みたいなメッセージを時々もらいます。
でもね、みんながみんな同じじゃないからね。
僕は、あくまで僕のやり方しか知らないし、僕のやり方しかできない、ってとこです。

もっともっとおおらかにやってて、かつ素晴らしい実力の人もいっぱいいると思うよ。