昨日の続きです。
大阪の実家へ帰ってきたのは息子が1歳6ヶ月の時でした。
(昨日の文章だと、1歳過ぎって感じだけど正確には1歳6ヶ月)
大阪で通い始めた病院は実家の近くにある総合病院の小児科で
先生は、やたら「アレルギー学会では・・」という話をする、
良い意味で熱血タイプのお医者さんでした。
先生曰く「1歳6ヶ月にもなるのに、あれもこれも除去する食事なんて
考えられへん!食べられるものはどんどん食べたほうが良い!」と
いう感じでした。前の小児科の先生と180度違う意見のように感じ、
私は非常に戸惑いました。でも、いつまでも何も食べさせないままでは
いけない・・というのは私も感じていたし、実際、除去食を頑張っても
肌が劇的に綺麗になったわけでは無かったので、新しい先生の指示に
従ってみようと思いました。
2度目の血液検査をした結果
「卵レベル6(最強) 小麦レベル3 大豆レベル2」でした。
卵はレベル6で、先生に「僕が診てる患者さんでベスト3に入る」と
言われてしまいました
飲み薬はジルテック、塗り薬はリンデロンVをチューブのまま
処方されました。「大豆のアレルギーは肌に出る事は少ないよ。
レベル2なら食べよう!」と先生に言われ、私は、とてもとても
ビビリながら、少しずつ息子に大豆製品を食べさせ、
2歳過ぎた頃には、大豆は食べられるようになりました。
今では納豆は息子の大好物です。
大豆が解除出来たということで、先生は「よし!次は小麦に
チャレンジしてみよう!」って感じでした。。。。。。でも。。。。。
小麦はレベル3だけど?大丈夫じゃないんじゃ・・・・・・と、
私は不安で先生の指示になかなか従いませんでした。
結局、息子が2歳を過ぎた頃、今度は夫の実家へ引っ越し、
居候することになりました(この頃、夫、未だ収入無し
)
夫の実家は、良く言えば閑静な住宅街にあり、近くには
お店も病院もないところでした。私はペーパードライバーなので
息子と気軽に外出する事が難しくなり、アレルギーでの通院を
一時やめていました。
ですから、結局のところ、小麦の解除は進まず、かわいそうだけど
除去!除去!除去!の食生活を続けました。
息子が2歳6ヶ月の時、1年ぶりに夫が新しい会社へ就職できました
そしてまたまたまた引越し。親子3人での生活を再スタートしました。
新居は、とても便利なところにあり、すぐにネットで近くの病院を検索
しました。今度も、アレルギーも専門である小児科で診てもらう事に。
前回の検査から1年が経過していたので、またまた血液検査。
結果は
「卵レベル5 小麦レベル3 バナナレベル3 大豆レベル2
牛乳レベル2・・・・」
今回の先生は、何と15項目くらい調べてくれたみたいです。
卵の数値が少し良くなっていました。
大豆や牛乳は既に食べても大丈夫なのは確認ずみだし。。
「小麦を少しずつ解除したほうがいいね」と先生は言いました。
少しだけど、数値が下がっているのを見て、私も「小麦の解除をしよう!」
という気持ちになりました・・・
でも・・未だに小麦は、ほんの少しのラスク程度しか食べられません。
痒がったり、咳をしだしたり・・・どうも未だ無理みたいな感じで。
あと、今回の先生とは、ちょっと相性が悪いというか・・・実は先生が
結構なおじいさんで・・・意思の疎通が難しいというか・・・。
現在3歳の息子は4月から幼稚園へ通うので、その為の書類の
記入をお願いした時も、ちょっと意思の疎通がうまくいかなくて・・
結局、書類は書いてもらえず・・・仕方なく、ネットで調べてみつけた
アレルギー専門でもある皮膚科へ行く事にしました。
だらだらした文章でスミマセン
(本人は精一杯の文章力です。本当ごめんなさい)
まだまだ長いので、また続きは後日に書かせて頂きたいと思います。
最後に。
アレルギーの事で、義の両親などから、チクっと嫌味を言われたママも
いるかもしれませんが・・・・(←自分の事だったりして^^)
「気にしなーーーーい
でねっ!」
私は妊娠中、産婦人科の方針で、玄米や野菜ばかりを食べ、
出産までに3キロしか太らず、自分でも妊婦ライフには万全を
尽くしたつもりでしたが・・・息子は強度のアレルギーでした
ただでさえ悩み、自分を責めているところに、心無い言葉を
浴びせられるのは辛いものです。
だけど、アレルギっ子のママは、後になって皆さん言っています。
「アレルギーがあったお陰で、子供に素晴らしい食生活を与える
事が出来た。自分も食品に対する知識が身に付き、実はスゴク
良い経験が出来た」と。私も心から同じ気持ちです。
アレルギーに限った事ではないけど・・・
ママは強くなる必要があるようです。
ど~ん
と構えていけたらいいですけどねっ。
(実際、私、まだまだいっぱいいっぱいですけど
)