今日から2019年3月に旅した
「広島原爆を知る」を
振り返ってみようと思います。
人の頭の上に、故意に原爆を落とされた国は、私たちが住む日本だけです。
原爆については、修学旅行で行ったことがあるくらいで、それ以上とくに知ろうとしてきませんでした。でも、自分が知ろうと思えば知ることができる、という、当たり前のことを想うと、日本人としてちゃんと知りたいと思い、撮影旅をすることにしました。
撮影は2019年ですが、
今の解釈で現像しています。
写真は7枚です。
よろしければ写真での旅を
ご一緒いただけたら、嬉しいです。
『はじまりは天使』
旅慣れていない私は、広島へ行くだけでもドキドキでした。
当時、ホテルに泊まる日数を減らせばお金の節約になると思って、交通手段は夜行バスを選びました。
昨晩の23時すぎに東京ドームホテル前を出発して、この日の朝9時すぎに広島のバスセンターに到着しました。
バスの中では個室だったので身体伸ばせて疲れはそうでもないのでは?と思ったのですが、違いました。バスの揺れであまり眠れず、身体バキバキのまま朝の広島に放り出されたような感じでした。
広島のバスセンターは、紙屋町交差点の角のビルの2階にあります。そこから降りて原爆ドームの方へと交差点を渡ろうとしますが、そこに横断歩道がなくて、渡り方がわかりませんでした。
地下街への階段を見つけて降り、原爆ドーム方面へ歩き、階段を上がってみると、そこに天使の像がありました。いきなり原爆ドームを撮影するのではなく、撮りやすいものがあったら良いな、とちょうど思っていたので、撮らせていただきました。
「よくきたね」と聞こえたような。
少しほぐれた気がしました。
『爆心地』
事前に歩く経路を決めていました。その経路の最初に、爆心地を選びました。
最初に来なきゃいけない。
そう感じたから。
実際に、現地に立ったら、
何を感じるのだろう?
拒絶されるような感覚を感じたらどうしよう?と心配していたのですが、実際に立ってみたらそんな感覚はなく「ここなのか...」とただ感じただけでした。
この600m直上で爆発したのですね。
見上げると、青い空が見えました。
1945年8月6日午前8:15に、
ここで爆発したのですね...
『初の対面』
爆心地から原爆ドームへは、すぐです。
その”すぐ”を急がず、ここに来た意味を感じながら一歩ずつ歩いていきました。
「道、合ってるよね?」自問しながら進んでいくと、見えました。
見えた瞬間に心に浮かんだ言葉は
「ありがとう」でした。
なぜかは、わかりません。わからないので、ただ感じながら、シャッターを切りました。
知りたい、と思ってから、初めて見る原爆ドームです。
『被爆地蔵尊』
すぐ横にお寺がありました。
ここのお地蔵様を見ているとやすらぎを感じます。
お地蔵様の台座を見てみると、このお地蔵様が「被爆地蔵尊」とわかりました。
このお寺は、今はビルですが、以前は瓦屋根だったようです。原爆にやられた当時の瓦がここに保存されていました。
『北側から見た原爆ドーム』
原爆ドームはもともとは広島県物産陳列館としてつくられた建物です。チェコ人の建築家ヤン・レツル氏の設計で1915年に完成しました。
その後、名称を広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館と改称しました。広島県の商品の展示即売会や調査・相談などの他、美術品の展示会や博覧会などに使われたそうです。戦争時は官公庁もここに入っていました。
今では役目を変えて、世界中の人々に原爆を伝えてくれています。
その2に続きます。
今日もお読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ11年目、常楽でした。
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