今日は、
アドラーが説明してくれている
感情移入について書きました。

感情移入は
演劇や映画を観ているときに
感じやすいものですが、
それ以外の場面でも
日常的に体験しているものなのです。

その感情移入を観察することで
「仲間意識」の状況も
見ることができます。

目次
・予見したいときにするもの
・日常に見る感情移入
・共同体感覚との関係
・仲間を思うことができること


■予見したいときに感情移入する

感情移入とは
どこか特別な雰囲気のある言葉と
思っている人もいるかもしれませんが、
実は日常的によくしていることです。

アルフレッド・アドラー
人は予見したいときに感情移入を行う
と言っています。

先を見通して
自分はこれからどうするのかを
見極めようとするときに
感情移入を使うわけです。

なぜ感情移入なのかといえば、
これから経験する思考、感情、感覚を
今得ようとするためです。

対象の思考、感情、感覚を
今得ることで、
その後にどうなるのか、
自分はどうするのかを
決めやすくなるわけです。

■日常に見る感情移入

感情移入は日常的にしています。

例えば、
相手と会話をしているときに
感情移入がなければ
相手を理解できません。

こちらから見て
危険が相手に迫っていると
心配や不安になるのも
感情移入があるからです。

その相手が危険に遭遇したら
見ている自分は安全なのに
防御の体制をとったりするのも
感情移入があるからです。

グラスを落として
割ってしまったら
悲しい顔になるのも
感情移入しているからです。

ボウリングやゴルフなどで
放った球の行く先を
希望の方向へと向かうように
身体をひねったりするのも
感情移入しているからです。

演劇や映画を観ていて
あれこれ感情を感じるのも
感情移入しているからです。

■共同体感覚との関係

アドラー
こうした感情移入をする起源は
生まれ持った共同体感覚の
事実のみに見出せる
、と言います。

共同体感覚は、端的にいえば、
自分の居場所がある感覚です。

自分の居場所があるのは
「そこに居てもいいよ」と
言ってくれる仲間の存在

前提となっています。

つまり、
相手を仲間と感じる心の機能が
感情移入を引き起こしている、
と解釈できます。

これを逆から見ると、
感情移入をしている人は
その対象を仲間と感じており、
相応の共同体感覚を持っていることを
示してくれているわけです。

そのため
共同体感覚を高める活動をすると
自然と感情移入もよくできるように
なっていきます。

■仲間を思うことができること

生得的な共同体感覚を
持っていない人はいません。

いませんが、
あまりにも使わないと
機能しにくくなることがあります。

それは「仲間」の定義にあります。

通常であれば
命のある存在に対して
仲間という感覚を持ちます。

しかしそれが
命のないもの、または
ほとんど価値のないもの
に対して
仲間という感覚を持つと
共同体感覚が機能しにくくなります。

その例として、
アドラーは動物虐待する子どもを
あげています。

動物虐待する子どもは
対象に対する感情移入が
ほとんど完全に欠如している、と
仮定しなければ考えられないことだ、
アドラーは指摘しています。

おそらく、
適切な教育を受けられないことなどで
他者への関心が養われず、
自分のことばかりに関心を持たなければ
生き延びられない状況に
置かれているためでしょう。

他者への関心のない人は
共同体感覚は高まりません。

他者への関心がなければ
他者貢献をしようとはしないために
高まる機会がないのです。

共同体感覚が高まらないと
感情移入も機能しなくなります。

そんな人を見た人は
その相手を
「無関心」「無感動」
「感情がない」「心が壊れてる」
などと表現したくなる状況に
なりがちです。

だから例えば
ぬいぐるみを
さも命のあるように
大切に扱う子どもがいたら
共同体感覚が相応にあると
見ることができますし、

反対に
ぬいぐるみを
「ただの物体」として
扱う子どもがいたら、
共同体感覚は相応に育っていないと
見ることができます。

つまりは、
感情移入できる人は、
共同体感覚が相応にある人、
すなわち、
仲間を思うことができる人と
見ることができるわけです。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ10年目、常楽でした。




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