■奥様がたの会話

先日、私の近くで話していた
奥様がたの会話が
聞こえてきました。

夫と一緒にお風呂に入ると
夫の世話をさせられるから
嫌だという内容でした。

自分の身体を見られて
あれこれ言われたり、
背中を流せとか言われて
世話をさせられたり。

すると聞き手の人は
「夫婦だから、一緒に入らない
わけにはいかないもんね。
大変だよね。」との返事。

え?そうなの!?
一人びっくりする私。

さらに、眠るときは
一人でゆっくり寝たいけど
一緒のベッドで寝ているから
寝ている間でも必要に応じて
あれこれ世話しなくちゃいけなくて
よく眠れていない。
そのせいか、最近は昼寝をしないと
一日もたない、という話。

聞き手の人はこれにも
「一緒に寝なくちゃいけないよね。
大変だよね。」との返事。

お!?そうなの!?
と再びビックリする私。

印象的だったのは
奥様がたの声や話し方が
とても嫌そう」だったことです。

その後も話は
「夫婦だから〇〇しなくちゃいけない」
という内容の話があって、
それに聞き手の人が
「夫婦だからしょうがないよね」
との返事で応じる、という
やりとりが続いていました。

その後、用事があって
その場を後にした私ですが、
その後もずっともやもや
抱え続けることになりました。

■支配関係と対等な関係

夫婦であることと、
一緒にお風呂に入ることは、
別の話です。

夫婦だからといって
一緒にお風呂に入らなければ
いけない、ということは
まったくありません。

入りたいなら、入るし、
入りたくないなら、入らない、
それだけです。

夫も、妻も。

対話による合意の形成があれば
”一緒に入る”が実現するし、
合意が形成がなければ
”一緒に入る”は実現しない、
というだけです。

もし、合意の形成なしに
一緒に入らないといけないなら、
他のことにも応用できてしまいます。

例えば、
夫婦だから、
裸を見せないといけない。

夫婦だから、
暴力されても不満に思ってはいけない。

夫婦だから、
約束を無断で反故にしても良い。

夫婦だから
相手の私物を無断で使って良い。

夫婦だから、
いつ触っても良い。

そんなことがあっても
夫婦の対人関係が
互いに良好だと感じているなら
何も問題ありません


しかし、
それが嫌だったら
問題です。

嫌なことは無理やりに
する必要がないからです。

嫌なことをするのは
自分に犠牲を強いることです。

一回一回の犠牲はちょっとだと
思っていても、
積もり積もれば大きな犠牲と
なってしまいます。

もしこんなのを「善し」とするなら
支配者と奴隷の関係と同じ
なってしまいます。

奴隷とは
見返りのないサービスを
支配者に提供する人です。

つまり、
損し続ける人であり、
犠牲を払い続ける人です。

対等でないので
その対人関係において
支配者と同じような人権が
与えられません。

支配者の許可した範囲の
人権があるだけです。

しかもその範囲は
支配者の機嫌ひとつで
増えたり減ったり変わったりします。

もしも奴隷の立場の人が
その立場にいることで
得られる利益があるなら、
その立場は嫌だとしても
その利益を失うくらいなら
我慢する
、という選択を
することもあります。

その利益として想定できるのは
決定しない」ことです。

何も決定しなければ
その責任を負うことはないため、
何をするにしても安心なのです。

それに、
いくら奴隷の立場の人でも
命を失ってしまったら
支配者は自分に奉仕してくれる人が
いなくなってしまうので、
支配者の立場の人は
奴隷の立場の人の「命を守る義務」を
負うことになります。

つまり、
何も考えることなく
ただ言われた通りにしていれば
生き延びることができる
、という
利益を得ていることになります。

この利益を得ることと引き換えに
一緒にお風呂に入ることを
捧げているなら、等価交換として
しょうがない」となるでしょう。

でも、公平であり、
平等であり、
対等な関係になるためには、
この利益は捨てる必要があります。

隷属するような関係であると
「決定しない」と「命を守られる」を
得ることができますが、
嫌なことでも支配者の立場の人が
望めば、奉仕する必要があります。

嫌なことをしないためには
「決定する」と
「自分の命を守る」を
他人まかせにせずに
自分自身でする
必要があります。

逆に見れば
「決定する」と
「自分の命を守る」を
自分自身ですれば
支配者の立場の人に隷属する
必要がなくなって、
対等な関係を持つことができる

ということです。


状況を変えるとしたら
新しい状況に適応する、という
困難に立ち向かう必要があります。

その困難に立ち向かう
心の力を
私たちは勇気と呼んでいます。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ10年目、常楽でした。



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