■真の貢献感を得る

貢献する目的
「貢献」です。

つまり自分のする行動が
共同体の利益になること
、です。

思っているだけでは
共同体の利益になるかもしれない
というだけですが、
実際に行動することで
共同体の利益をにできます。

共同体とは人の集まりです。

仕事や学校など何かを
介しての集まりもそうですし、
友人や家族も、そうです。

自分のためだけでも
相手のためだけでもなく、
共同体、つまり人の集まる場を
よりよくしていこうとすること
です。

そんな貢献をするときに
目的が「貢献」ではなく
「他者に承認されること」
ならないように気を付けることです。

共同体の利益に貢献して
それを見た他者が
「ありがとう」と感謝したり
「すごい」と驚いたりして
反応をくれます。

そういった良い評価を
受けると、貢献感を感じて
うれしくなります。

「貢献」を目的にしていると
そんなふうに
思ってもらえて光栄だ、とか
喜んでもらえてうれしい、など
謙虚な心で受け取るでしょう。

なぜなら良い評価を
受けることは当初の目的に
なかったからです。

当初の目的は
あくまで「貢献」です。

これをすると
共同体の役に立つに違いない
と思うことをやるまでが
当初の目的です。

そのため
他者からの良い評価は
副産物のように
感じることとなります。

このような状況で
得られた貢献感
自分の価値を感じさせて
くれますし、
感じるしあわせを増やしてくれる
共同体感覚を高めてくれます。

しかし一方で、
その評価を得ることを
目的
にすると、
私欲を満たすために
共同体を利用しようと
していることになります。

良い評価を得られたら
当然と思うので、
貢献感よりも自己陶酔感
味わうことになります。

良い評価をくれる人は味方で
良い評価をくれない人は敵と
自分の都合で共同体の仲間を
切り分けたくなるかもしれません。

また、
良い評価をもらうことが
目的となると、
実際には共同体の
利益にならないことでも
それを利益になると見せる努力
他者に「役に立った」と
言わせる努力

してしまいかねません。

つまり、
その行動が「貢献」でなくても
良い評価さえ手に入れば
それで良いことになってしまいます。

いくらやっても
良い評価がもらえなければ
自分の貢献活動の内容は棚に上げ、
良い評価をしない人に
悪い評価を与えること、
すなわち
「これで喜ばないなんておかしい」
自分が貢献できない責任を
その他者に肩代わりさせようと
したくなったりしてしまいます。

だから、
貢献の目的は「貢献」としないと
自分の利益ばかりを心配するように
なってしまって、
すればするほど本来の貢献から
遠ざかっていくことになります。

それは貢献しているのに
貢献感が得られない、という
自己矛盾を感じたり、
貢献しているのに
他者が離れていって
孤立を感じたりすることに
つながっていくことになります。

■ちょっと損する感覚

例えば、
学校の教室や
職場の床に落ちてる
ごみを拾ってゴミ箱に
捨てるのは
自分がほめられたり
賞賛されるため
では
ありません。

教室や職場を使う人たちが
より快適にすごせるように
なることを見込んで

ごみを拾うのです。

ほめられたり
賞賛されたりすることが
目的となったら、
それらが見込めなければ
ごみは拾わずに
そのままにするでしょう。

何度もごみを拾ってみても
ほめられたり
賞賛されたりしないなら
「もうやらない!」なんて
決心を固めるかもしれません。

そんな人は
教室や職場の床に落ちてる
ごみなんてどうでもよくなり、
もっと他に
ほめられたり
賞賛されたりすることが
見込めることを探して
そこに力を注ぐでしょう。

こうして
自分が正しいと思うから
行動を起こす
、のではなく、
他者の承認を得られるかどうかで
行動を起こすか否かを
決める
ようになってしまいます。

そうなるとその人は
他者の評価に
振り回され続けることに
なります。

関心の向き先が
常に自分自身なので
自分の利益にならないことは
しないようになります。

人助けも
自分に見返りがあるかどうか
するかどうかを
決めるようになるわけです。

これは端的に言うなら
自分さえ善ければ
他者はどうでも良い状況です。

これでは感じるしあわせは
増えていきません。

感じるしあわせを増やすなら
自分の利益は横に置いておいて
共同体の利益を見ようとすることです。

ごみを拾って
ゴミ箱に捨てると、
きれいになります。

そのごみを拾ったのが
自分だと知る人は
いないかもしれません。

しかし、そのごみがないため
その分そこを使う人々は
快適にすごせることは確かです。

それを見て
「自分は役に立ってうれしい」
感じられれば、それが貢献感です。

もちろん自分の仕事を放り出してまで
ごみを拾う活動ばかりをする必要は
ありません。

一方では、
自分の仕事で
関係する人たちに喜んでもらえたら
うれしいと感じます。

そのときも、
貢献感を感じています。

これらは見え方が違うのですが、
その基本姿勢は同じです。

貢献の目的は「貢献」
なっているのです。

貢献活動は自己犠牲しない範囲で
する必要がありますが、
逆に言えば自己犠牲と感じないなら
ちょっと損する感覚を感じても
貢献できるわけです。

貢献活動をしても
誰の承認もないかもしれない

という感覚は、
そのちょっと損する感覚
入りそうだと思いませんか?




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ9年目、常楽でした。



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