■「善良な人」を目的にする人

「気っ風(きっぷ)のよい人」
「気前の良い人」
「親切な人」
「感じの良い人」
「ごちそうしてくれる人」
「優しい人」
「礼儀正しい人」
「人情深い人」
そして「善良な人」。

アルフレッド・アドラーは
こんな人は信じない方が良い、と
言っています。



なぜならそれは
「見せかけ」で、
弱者を助けることで
自分が強者であることを
誇示したい人である可能性が
あるからです。

つまり
「相手より自分優先」なこと、
すなわち
自分が優位になるために
「善良な人に見られること」を
目的にしているかもしれないからです。



「善良な人」を責めると
責めている方が悪い人だと
逆に責められたりします。

「善良な人」を指摘すると
「そんなわけないだろ」と
指摘した人が
逆に指摘されたりします。

そんな感じで
「善良な人」と認められれば
「見えないバリア」みたいな効果を
期待できたりします。

誰かが物を「盗まれた」と思ったときも
事前に「善良な人」となっておけば
真っ先に疑われることはありません。

逆に「誰かがここ掃除してくれた」のような
人知れず誰かがしてくれた善行みたいな人に
「善良な人」は真っ先に選ばれたりします。

また「善良な人」がする提案は
周囲に受け入れられやすかったします。

そうして
集団の中で「善良な人」と
認められておくことは
その集団の中で優位になることができ
生存可能性が高まります。

その「特権」みたいなものを
手に入れるために
自分が「善良な人」と
見られるような行動をするのです。

でもそれは自分が「善良な人」と
見られることが目的であり
「相手より自分優先」な行為です。

「相手より自分優先」な行為では
共同体感覚は高まりません。

それは感じるしあわせが増えない
ということです。



相手を見て
「善良な人」と自分が見ているのか
相手に「自分は善良な人ですよ」と
見させられているのか、
すぐに判定することは難しいです。

ただ継続して接していると
「善良な人に見えるような行動」を
しているのか、
本当に「善良な行動」をしているのか、
見えてきます。

それはその人が
「相手より自分優先」なのか
「自分より相手優先」なのかが
接しているうちに
その人の思いや言動、
そして行動を通じて見えてくるからです。

代表的なのが「言行一致」です。

言っていることと
やっていることが
一致しているか、どうか。

例えば
「いつでも遊びに来てね」と何度も言われて
歓迎を示してくれるけど、
実際に
「今度の日曜日に行ってもいいですか?」
なんて聞いてみると
「ごめん、その日は子供と約束があって」
とか言われて不可抗力的に断られる。

「いつでも」と言っているのに
「いつでも」じゃないとわかる。

何度か遊びに行ってもいいですか?と
日時を変えて訊いてみると
「そんなにうちに来たいの?」とか
「うち以外に行くとこないの?」など
こちらの態度に問題があるような
言い方をされたり。

「来てね」と言われたけど
なんだか歓迎されていない感じ。

こんな人は
現行一致してないので
「善良な人に見られる行動」を
しているだけで
「善良な行動」ではないと
わかります。

逆を言えば
ささいなことであっても
現行一致している人は
「善良な行動」をしてくれてる人と
わかります。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ9年目、常楽でした。



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