自分が
他者からどう見られるか
ばかりに興味関心が向く人は
イヤな自己中心的。

自分が
他者からどう見られてでも
所属する共同体の利益に
貢献しようとする人は
すてきな自己中心的。

家族という共同体でも
それは同じです。



家族との関係は
あまりに当然なために
軽視しがちです。

でも、それは
空気や水と同じで
あるのは当然だけど
とても大切なものです。

家族を犠牲にして
社会でいくら成功しても
その犠牲と釣り合うことは
ありません。

それくらい
家族を犠牲にすることは
大きな損失です。



ある時、私の父親は
自分の仕事のミスを
私の目の前で
私が原因で起きたことだと
電話でお客さんに話しました。

まだ高校生の私は
なんでそんな扱いを
受けるのか理解不能でした。

電話を置くと父親は
私に向かって
「こう言うしかなかったんだよ」と
話します。

不可抗力=父親は無罪、
ということ。

それにどんな返事を
返せばよいのか
わかりませんでした。



私に何の断りもなく
一方的に
勝手に
私の責任にされてる。

何日経っても
納得がいかず
心の中で怒りが
おき火のように
くすぶり続けます。

家族は父親が支えている。
その父親を守るためなら
家族が犠牲になるのは
しかたがない。

すなわち、
父親を守るためなら
家族が犠牲になるのは当然。

犠牲を払うと
父親を守ることができ、
さらには自分も含めた
家族も生き延びることができる。

親はそう考えているようでした。

父親にタテつくと
「見捨てるぞ」と
脅されて黙らされるので
怖くて言えません。

我慢できなくて
母親に言うと
予想通り、
「それでお仕事がうまく
いくのだから、我慢なさい」
との返事。

心の中の怒りを
加速させるだけに
終わりました。



家族は私の他に
母親、姉、弟がいました。

なぜその中で
私だけのせいにされる?

毎日そのことばかりに
心が支配されて
いてもたってもいられません。

もう「見捨てるぞ」の
脅しがどうのこうのと
言ってる場合じゃない。

そう決意して
父親に訊きました。

「あの件、どうして
俺のせいにしたの?」

父親ははじめ
「そんなことしてない」と
事実を認めようとしませんでした。

まともに取り合わない父親に
巨大な怒りがこみあげて
もう止められません。

毎日問い続けます。

「どうして俺だけ?」



「見捨てるぞ」と
何度も脅されても
ひるまない私に
父親もさすがに根負けして
本音をこぼしました。

「お前なら大丈夫だと
思ったんだよ」

優等生の姉は
かわいい。

最年少の弟は
かわいい。

姉と私なら
男の私が強い。

弟と私なら
年長の私が強い。

長男は強いから
耐えられる。

そんな一方的な
よくわからない理屈で
父親は私を選んだそうです。



父親を問い詰めて
・仕事のミスは自分のせい
・自分のミスを誰かに
 転嫁するのはいけないこと
・今回私のせいにしたのは
 悪いこと
を聞き出しました。

それなら謝罪があるのかと
思いきや、
自分は悪くないと言い張ります。

その態度に
怒りはさらに加速します。

「謝ってよ」
「そんなことできない」

そんな押し問答が続くだけ。

食事の時間になり
母親も食事をするよう
私と父親に声をかけます。

父親は
怒りに震える私を
その場に残して
平和に食事を始める。

そんな父親と
一緒に食卓が囲めるか!と
その場から離れる私。

母親が「食べなさい」と
私を呼ぶ声。

その母親に父親が言う声も
聞こえた。
「ほっときなさい」

なんだよそれ。



そんな父親を
非難するのは
家族の中で私だけ。

翌日から
私以外の家族は
普段通りに生活している。

家族という関係だけど
仲間じゃない感じ。

中学生の頃から
父親からの性被害を
受けているから
関係はすでに修復不能だけど
さらにその溝が
深まった感じ。

それから何十年も経った今でも
それは残っている。

でも父親は忘れていて
「自分は息子に好かれている」と
自己催眠をかけ続けるかのように
確信して生活している。

こんな大きなすれちがいは
私の父親にとって
超巨大な損失ではないのでしょうか。

いくら生き残ってても
幻想の中で生きているようで
しあわせには見えません。



その一方で、
反対に感じることも
ありました。

子供が集まる場で
大人の男性が怖い子が
いました。

私との距離が近くなると
その子は逃げる。

すると私の子が
その子に近づいて
こう言いました。

「私のとうさん、
怖くないよ。
やさしいよ。
だから大丈夫だよ。」

それを見て
私と
私の子との間には
あたたかいものが
できているんだな、と
感じました。

自分の子には
できる限り恥ずかしい思いを
させないように、
できる限り対等な関係で
いられるように、
意識して接していました。

そうして普段から
育てている信頼関係が
形になって見えた瞬間でした。

こんな関係、
一生の宝物です。



自分の利益だけを
追求していると
家族に犠牲が出ても
得た利益に目がくらんで
その犠牲を見過ごしてしまうことも。

なので
自分だけの利益ではなく
家族の利益に注目していれば
家族の犠牲は、
家族の損失なので
すぐに気づきます。

そうして得た家族の利益は
自分の宝物に違いありません。

一時的ではなくて
この先ずっと。






お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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