上下関係で生きる人は
いつも自分が上になれるように
相手に戦いを挑みます。

試合で勝てないと悟ると
場外乱闘に持ち込もうと
相手を挑発します。

「私が正しい」に固執すると
その挑発に乗らずにはいられません。

でも、
「私が正しい」を捨てると
その挑発を受け流すことができます。



人それぞれ
価値観や考え方は
違います。

違うだけで
善悪ではありません。

目的によって
それぞれの効果が
変わるだけです。

その中で
「自分が正しい」とすると
自然と
「相手が間違っている」と
していることになります。

正しいかどうかは
評価する人が決めることなので
人によって違うのは自然なことです。

それを
自分が正しくて
相手が間違っているとするために
権力争いで勝って
相手を服従させようとしているのです。

相手が「自分が正しい」を
権力争いで勝って成立させようと
しているので、
自分も同じ土俵で戦って勝つことで
自分の「自分が正しい」が成立すると
思ってしまいがちです。

でもそれは
横車を押すかのごとく
無益なことです。



水の中で
火を灯そうとしたら
相応の設備が必要です。

こんな感じで
自然に反する状況下では
自然な状況下よりも
実現は困難です。

相手が正しいのか、
自分が正しいのか、
どちらも「有るもの」なのに
どちらかを「無いもの」と
するのは自然に反するので
実現は困難です。

継続して実現するなら
なおさら困難です。

それを押し通す方法が
権力争いで勝つこと、
というわけです。



相手が「自分が正しい」を
実現するべく
権力争いを仕掛けてきます。

その挑発に乗らないためには
その前提の「自分が正しい」を
共有しないことです。

あなたの考えが
存在することを
私は承認する。

そして、
私の考えが
存在することも
承認する。

私は「自分が正しい」を
捨てます。

どちらが正しいか、よりも
今の私たちの目的は何か。
その目的を実現できる方法は何か。
それを一緒に考えたい。



挑発は
自分の容姿や個人的なこと、
家族のことなどまでに
及ぶかもしれません。

目的に照らして
直接関係ないようなことを
持ち出してくるのは、
それだけ必死になっている
ということです。

権力争い以外に
生きる道がない、と
信じているということです。

権力争い以外にも
生きる道はありますが、
それを拒絶しているので
自分で自分を
自然ではない状況に
しているわけです。

そんな失礼なことをする人と
権力争いをするほどの
密接な関係になりたいとは
どうにも思えないことも
自然なことですね。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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