【不登校の歴史①】小学校入学~低学年:行き渋りの頃 | 37年自己否定し続けていた元サレ妻が、1年で幸せな子連れ再婚☆ - 自分らしく愛されて幸せに生きるコツ - なちゅらく@大阪・兵庫

37年自己否定し続けていた元サレ妻が、1年で幸せな子連れ再婚☆ - 自分らしく愛されて幸せに生きるコツ - なちゅらく@大阪・兵庫

自分の欠点を気にしてばかりで37年心からの幸せを感じられずいた私.

自分が自分を認めてあげる大切さに気づき 自分との繋がりを取り戻していくと
1年で
幸せな子連れ再婚♡
娘の不登校も前向きに捉えられるように✨

そんな経験を通して得た幸せな生き方をお伝えします.

ご訪問ありがとうございます。 

なちゅらく の 導明なつこです。

 

 

 

不登校関連の情報を発信していくにあたり

 

まずは娘さんの不登校の歴史を

振り返っていきたいと思います。

 

image

 

 

うちの娘さん(2020年度小5)は

小学校入学当初から

学校があまり好きではありませんでした。。

 

 

娘は、生後半年くらいから

ずっと関東で育ってきて

 

離婚後、

小学校入学に合わせて

鎌倉から大阪へ引っ越してきました。

 

 

なので、

言葉の違い、お友だちのキャラの違い等への

戸惑いも

多少あったかもしれません。。

 

 

 

また、

最後に住んでいた鎌倉では、

わたしはほとんど仕事をしてなかったので

子どもと一緒にお友だちと遊ぶことも多かったのに

 

離婚後はフルタイムで働くことになり

学童での生活。

 

 

大阪市では

年間500円で放課後も過ごせるサービスが

あるのですが

娘の通う小学校は生徒数が多く、

 

 

放課後活動では

1つの大きな教室に、1年生だけで100人近くいて

先生の目がなかなか行き届かないと聞いたので

 

学童の方がみんなと家族、兄弟のように

楽しく過ごせるかと思ったのですが^^;

 

娘には合わなかったようです。

 

 

 

毎日、夕方にはみんなで公園に行って

遊ばないといけないとか

 

長期休みには

そんなに仲良くないお兄さんお姉さんと一緒に

グループで食事の準備をしないといけないとか

 

 

自由に過ごせる時間が少ないことが

娘にはストレスだったようです。

 

 

結局1年ほどで学童を辞め、

学校内での放課後事業に切り替えました。

 

 

学童にしても学校の放課後事業にしても

宿題をさせてくれる時間があるのが

ありがたかったです。

(この宿題が後々問題になってくるので💦)

 

 

低学年の頃は

家で宿題をする必要がほとんどなかったので

 

そこまで寝る時間も遅くならず

 

 

親子ともに朝が苦手で

集団登校には間に合わなくても、

 

途中まで付いていけば、一人で登校することが

ほとんどでしたし

 

時々、行き渋ることがあっても

 

ほとんどの場合は

何とか学校まで送り届けて、事なきを得ていました。

 

 

ですが、

小学校3年生になる前の春休みから

少しずつ状況が変わっていったのでした。。

 

続きは

②小3:行きたくないと行って欲しいの葛藤を経て新生活への期待に

 

 

あなたの中にいる

ちっちゃなあなたへ💌

 

毎日よく頑張ってるね♪

 

生きててくれて本当にありがとう❤️

 

泣いてもいい

怒ってもいい

楽しんでいい

幸せになっていい

ダメダメでもいい

どんなあなたもそのままで大丈夫⭐️

 

わたしはずーっとあなたの味方だよ♪

いつも側にいるから安心してね✨

愛してるよ❤️

 

 

あなたがますますあなたらしく✨

幸せな毎日を送れますように❤️

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございましたニコニコ

 

 

 

 

 

LINE公式アカウントでは気まぐれで語ったり

先行予約等お得な情報をお届けしてます(^^)

ご登録後、お悩みやカードに聞きたいことを

送っていただければ、1枚カードを引かせていただきます✨

友だち追加