90歳目前だった叔母がなくなりました

 

横浜に一人暮らししていて、

うちは親族がほぼ関西にいるので、父の代わりにたまに様子を見に行ってましたが

今年怪我をしてから施設に入っていました

 

叔母は以前から終活をしていました

私から見たらものは多く感じていましたが

なくなる前には、下着などの枚数もかなり少なかったそうです

 

エンディングノートもかいてあり

遺影も写真館で綺麗にとってありました

それが施設の引き出しにちゃんと揃っていたそうです


わたしは親族の中で唯一関東に住んでいる関係で

ひと足先に挨拶にいってきたのですが

縁あって納棺や葬儀の打ち合わせなどにも立ちあわせてもらいました

そばでみていて、

終活をしておいたことで、その後の段取りがずいぶん楽になってるだろうなと感じました

 

叔母の家族で存命なのは、私のひとまわりほど年上のいとこ二人

喪主はいとこです

叔母もいとこも、宗教に入っていて、大変熱心な信者です

今は宗教に入っていると言うと怪しい目で見られますが

昭和初期ごろは地元に根付いたちいさい宗教団体がいっぱいあって

熱心に拝んでいる人も多かったと思います

うちの親もそうです

どちらも先祖供養を大事にする系で、へんな宗教ではないです

 

叔母も娘も同じ信者だし、エンディングノートもあったので

叔母の希望のとおりの葬儀になっであろうなあと感じました

いとこは立派に勤めをはたしてたし

心の拠り所であっただろう宗教のお坊さんが

今時珍しく、初七日、ふたなのかと、毎週お経をあげに来てくれる段取りをしていました

葬儀には、導師さまのほかに、

よくお世話してくれたというお坊さんも(お客さんとして)参列くださって

叔母はしあわせだなあと感じました

なかなか

自分の死んだ後で、望み通りになるとは限らないじゃないですか

いい葬儀だなあと思いました

 

 

自分は、子供もいないし、家族とも疎遠だし、友達もいないし

お金もないから施設にも入れないので

本当に孤独に死んでいくことが決定していて

同じようなことはできないけど

結論やっぱり終活っていいな!って思いました

 

 

で、私ももうちょっとこざっぱりしたいと思うんですが

まあ、全く、体が動かなくて、何にもできてません

ものは減っているはずなのに、今の部屋がどうにもならなすぎて

以前の部屋よりもとっ散らかって見えます

前の部屋は、気に入ってはなかったけど、

ものを減らしながら収納を変えて行き、すこしずつスッキリしてきて

その結果玄関に盛り塩をおいたりなどもするようになっていたのですが

 

今の部屋が、どうにもならなすぎて

ちらかっていると、盛り塩なんてやる気力が沸かないんですね

引っ越し後一度もできていません

 

気持ちもどんどんしんどくなってきて

ロングスリープがまたひどくなって来て

家のことなんもできないし

ひとりでいると、喋る相手がいないから、通常口から言葉はでてこないのに

突然「生きてるの疲れた・・・」なんて言葉が、声として出てしまいます

高い料金を払ったTMS治療は、あと8回でおわりなのに、全く効かなかったみたい

 

どんよりした師走をむかえているひよこなのでした〜

 

 

追伸、猫はあいかわらず、全くなつきません・・・