正論では人は動かない-仕事が楽しくないあなたへ | 詩禅美|東京美学倶楽部 -祐音文学- |西尾祐里 公式ブログ

詩禅美|東京美学倶楽部 -祐音文学- |西尾祐里 公式ブログ

美学、哲学、文学に代表される人文知の普及を推進するサロン「東京美学倶楽部 祐音文学(Shion Bungaku)」主宰、西尾祐里の活動ブログ

■YouTube東京美学ちゃんねる
オトナの超高抽象BAR「詩禅美」にて
美詩を語らい真美を探求する番組を放送中!

~詩は絵のごとく~





やりたい仕事で魅力を活かす 30代専門コーチ 西尾祐里 です。


☑仕事(勉強)することが楽しくない

☑アドバイスもらって、頭では理解できるけど行動できない自分がいる

☑やるべきことにはやる気が起きないのに、趣味(興味あること)には没頭。これでいいのかな・・



↑この項目にチェックが入る方に向けて書いてみます^^



以前も書きましたが、私は、

いわゆる”机に向かって勉強に取り組む”ということを全くせず、

ひたすらバイト三昧の10代後半を過ごしています。


当時の私は”勉強=やらされるもの”と思い込んでいたので、

”勉強する楽しさ”なんて考えもしませんでした。

(※↑詳しくははコチラ。”自分の中の思い込みに気づくことから現状を変えるヒントがある”



あ、だからと言って、バイト三昧だった過去の自分のことを否定しているわけではありませんよ^^

むしろ、その頃の経験が今の私を形成しているので、感謝しているくらいです。

バイト三昧だったとはいえ、その頃に、体を通して、経験を通して学んだことは財産です。

(※↑詳しくはコチラ。”あなただけの「やる気スイッチ」「勇気の鍵」の見つけ方”


当時のバイト経験は、ただただ”楽しい””悔しい”に忠実に、

本人は「勉強している」という気ではなかったのですけど、きちんと学びを身につけていたわけですから^^

まさに”やりたい!”に忠実に、勝手に自主的に学んでいった経験といえます。



なので、10代の私は「勉強する楽しさ」を知らなかったわけではないのです。

体を通して、感覚的に知っていたわけです。

ただそれを、”学校での勉強”に置き換えられなかっただけといえます。


そりゃ、そうです。

だって”勉強=やらされるもの”という強烈な思い込みが自分の中にあるんですもの^^;

まずはこの思い込みを手放さないことには、

いくら「勉強するのは楽しい」「いずれ自分の糧になる」「可能性が広がるのよ」といったことを言われても、全く入ってきません。



「私、日本人だし。世界史学んで何になるの?英語必要ない!」

「スイヘーリーベ・・って、覚えて何の意味になる?」


10代、当時の私が心の中でついていた悪態。

これ、本当に心底そう思っていたのか・・、今思えば少し違います。

どちらかというと

”やらされる”に拒否反応を起こし、自己正当化するための悪態だったように感じるんですね。


なので、世界史や英語を学ぶ意義をいくら伝えたとしても、

きっと当時の私は耳を貸さないどころか、心を閉ざしたことでしょう。


「誰も私のことなんかわかってくれないんだ・・」


そう思ったかもしれません。



正論で人の心は動かないものです。



それは、人に言われた正論だけじゃなく、

自らが自分に言い聞かせる正論でも同じこと。


その正論が世の中的に言われている正しいことだとしても、

心の奥の自分自身が納得していないと、心が動かないのです。

心が動かないというのは、すなわち、心が伴わないということ。

行動と心にズレが生じ、変なギクシャク感が起こり、

「本当にこれで良いのだろうか・・」という疑心暗鬼が立ち込めます。



10代の私のように、心の中で悪態ついている場合。

「勉強することが楽しくない」という時、

大人であれば、「今の仕事が楽しめていない・・」という時。

要は「やる気が起きない」という時。


そこに”やらされている”感があるのかどうか。

自分の中に築いてしまった「思い込み」があるかどうか・・。

そこを確認することは、まず肝と言えます。



自分が自分に「思い込みがあるのかもしれない・・」と問いを投げかけて、確認できたらもうけもの。

そこから、”どうするか”を考えることができます。



とはいえ。

自分一人で、そこに「思い込み」があるのかどうかは、なかなか気づけるものではありません。

だって、「そうゆうもんだ」と思いこんじゃっている状態なんですもの^^;


「私には、何か”思い込み”があるんだろうか・・」

そんな方に向けて、次回は書いてみようと思います^^