いよいよ明日から2日間、神奈川県茅ケ崎市でオールジャパンビキニフィットネス選手権が開催されます。
この大会は、世界選手権の日本代表候補選手を選考するとても大切な大会です。
昨年オールジャパン↓↓↓↓
今回、9回目となる“オールジャパン”は、日本全国から大変多くの選手が、そのステージを目指し、各地で熱戦を勝ち抜き、クオリファイをとってはじめて上がることができるステージであり、全国のビキニ選手にとって出場できることはとても栄誉ある大会です。
明日18日は、35歳以上40歳未満
163㎝超級クラス(出場選手数15名)、
明後日19日は、年齢別ではなく身長別のみで、163cm超級クラス(出場者数28名)の2カテゴリーに出場します。
初めてのポージングレッスン↓
ビキニフィットネス全カテゴリーのエントリー選手総数は、214名(ダブルエントリーを含む)で、昨年の132名から大幅にエントリー数が増えています。
初めてのレッスン↓↓↓
初挑戦から7年が経ち、こんなにも多くの選手が出場する大会になるとは、思いもよりませんでした。
こんなにもビキニ選手が増えたのには、多くの人にとって、ビキニが魅力的な競技になったというだけでなく、日本ボディビル・フィットネス連盟および地方のボディビル・フィットネス連盟の皆さま
、そして、業界関係者の皆さまの弛まないご尽力によるところが多いと大変感謝しております。
デビュー前の私↓↓↓
本当にポージングが苦手。
センスゼロ笑笑
そのことは、今年も、大変光栄なことに、多くの地方連盟の皆さまからお声がけをいただきまして、全国7大会にゲストポーザーとして伺ったことで、私自身強く実感いたしました。
ゲストで伺うところ各地のどの大会でも、ビキニ大会が盛大に開催されておりました。
ビキニフィットネスは、私が始めた頃とは比べものにならないほど、日本全国の皆さまにとって、とても身近な競技になりました。
以前では考えられないほど多くの選手がオールジャパンのみならず、日本各地の大会に参加して、ビキニフィットネスができるようになりました。
今年も引き続き、コロナ禍での大会開催は想像を絶するほどかなり困難を極める状況の中にあります。
この厳しい環境にあっても、さらに盛り上がりを見せてきたフィットネスの灯火を何とかして消さないようにと、いつも陰日向となって、日本全国で大会運営を支えて下さっている数えきれないほどの
皆さまの姿をゲストポーズに伺った各地のどの大会会場でも、目の当たりにいたしました。
その光景を前に、いつも私は胸を熱くし、それと同時に、涙が目にあふれることを止めることはできませんでした。
初めてのデビュー戦の直前、、
下手すぎる自分に泣けてきました😭
華やかなステージの裏の見えないところで、多くの方たちが必死になって準備し、選手に“最高の舞台”をとの強い思いで、大会を運営されています。
選手として大会に出場しているときには、周りを見る余裕がなく、見えなかったことも、ゲストで会場に伺うときには、見えてくることが本当にたくさんあります。
初優勝↓↓↓
日頃からお支えいただいている
全国の皆さまに、感謝をうまくお伝えする言葉も見つかりませんでした。
ただ、まずは大会のゲストとして、その“感謝の気持ち”をしっかりと胸にステージに上がらせて頂こうと心がけておりました。
全国7大会に伺い、会場にいらっしゃった多くの皆さまへの感謝の気持ちを胸に、そして、大きな力も頂きました。
明日から開催されます、オールジャパンは、そういったフィットネスを愛する全国の皆さまの思いがぎっしり込められた本当に大切な大切な大会です。
今から8年前の11月30日、
30歳過ぎに、「フィットネスビキニ優勝への道」に“記念すべき第一歩”を踏み出しました。
(競技名称が当初のフィットネスビキニから現在のビキニフィットネスに変更されました。)
それからわずか10か月後の2015年9月21日31歳で、ビキニフィットネスのステージに初めて立ちました。
その人生初挑戦の舞台が、第2回オールジャパンフィットネスビキニ選手権でした。
初出場のときは35歳以下163cm超級クラスにエントリーした選手の数は、私を含め、わずか“2名”でした。
この出場者2名が物語るように、2015年に私が「ビキニフィットネス」を始めた当初、大会が前年から開催されたばかりでまだ日も浅く、そのとき私の周りの多くの人たちにはまったく馴染みがなく、ビキニフィットネスが「スポーツ」だという認識がありませんでした。
「多くの観客が見守るステージ上で裸同然の恰好でお尻まで突き出すなんて恥ずかしい、早くやめたほうがいい、世間の笑いものにされるから」と家族や友人ですら心配を募らせ、早く目を覚ませと言わんばかりに代わる代わる説得されました。
それでも、私は「いつかわかってもらえるはず」と信じて、大好きなビキニフィットネスを続けました。
もともとダイエット目的で始めた競技でしたが、“昨日の自分より一歩だけ前に進んでみよう”と毎日進み続けるうちに、体だけでなく、心までも変わっていく自分に気づき、日を追うごとにビキニフィットネスへの愛が深まっていきました。
初優勝の発表を受けて↓↓↓↓
そのビキニフィットネス愛から、私は「ボディビルと聞いて、誰もがどんな競技かわかるように、“ビキニフィットネス”と聞いて、誰もがどんな競技かわかるようにしたい」という夢まで持つようになりました。
いつか多くの皆さまに、ビキニフィットネスはすばらしい“スポーツ”競技だと認めていただきたいと心の底から願い、一日も早く自ら「何としても世界の舞台で結果を残して、“ビキニフィットネス”という競技に一人でも多くの皆さまからご注目いただきたい」とのこだわりを強く持つようになりました。
「ビキニフィットネス世界一」という目標に向かって、31歳の初挑戦から6回にわたり世界選手権に挑戦させていただいてきましたが、大変申し訳ないことに、まだお約束は何も果たせておりません。
皆さまのおかげで、昨年、世界2位になりましたが、それは私のゴールではありません。
私自身、決してあきらめることなく、「何としても次こそは“世界一”」という気持ちを強く持ち、皆さまに「安井をもう一度世界の舞台に」と言っていただけますように、今日まですべてをかけて準備してまいりました。
今、私の眼前には、7年前人生の転機を迎えた“オールジャパンのステージ”があります。
フィットネス競技未経験の私がこのステージに上がろうと決意した2014年11月30日から、私の人生は、それまでまったく想像もしなかったほどに、まさに音を立てるかの如く変わっていきました。
それでも、その日以前も、そして、その日以降も、変わらないことがあります。
トレーニング始める前の私↓↓
私自身の力だけでは、人生どうにもならないことばかりということ。
そうです、私一人では何もたいしたことはできないということ。
私は、いつも家族はもとより多くの皆さまの理解やサポートに支えてもらっているということ。
この8年間の競技人生を振り返れば、お腹がよじれるほど笑った日も、底なしに落ち込んで心折れた日も、大切な人たちのやさしさに止めどなく涙を流した日も、いろいろありましたが、その1日1日、すべての日が私にとっての大切な人生の宝物です。
皆さまのお支えのおかげで、30歳過ぎのぽっちゃりOLだったこの私でも、この山あり谷ありの日々の中、決して毎日足を止めることなく一歩ずつ前に進んでここまで来ることができました。
愛するビキニフィットネスが私に教えてくれたこと、それは
誰でもいつからでも『自分と未来は、変えられる』、ということ。
オールジャパンの舞台で、もう一度『自分と未来は、変えられる』ことを証明させてください。
ここで、皆さまのおかげで、
「最高の明日を迎える準備」が、すべて予定通り整いましたことを、ご報告申し上げます、
本当にありがとうございます、心より深く感謝申し上げます。
今日は、整体院でした↓↓↓↓↓
ここまでお世話になったすべての皆さまへの“感謝の気持ち”をしっかりと胸に、この栄誉ある大切な“オールジャパンのステージ”に上がらせて頂きたいと思います。
明日も応援どうぞよろしくお願いいたします。
期待していてください、
今年の私に。