今、世界フィットネス選手権が行われます、ポーランドに来ています。

昨日1日目↓↓↓

今回の世界フィットネス選手権で、4年連続4回目の出場になります。

 

初出場は、3年前のハンガリーで行われた世界選手権でしたが、今でもあの時のことは鮮明に記憶に残っています。


1年目世界フィットネス↓↓↓↓



フィットネスビキニを始めて、わずか1年で、初出場のオールジャパンフィットネスビキニ選手権大会で初優勝し、世界大会に出場でしたので、日本代表として派遣していただけるとの決定をご連絡いただけたときは、不安やプレッシャーを感じるより、ただただ嬉しかったことを覚えています。

日本ボディビル・フィットネス連盟(以下、日本連盟)が、フィットネスビキニ選手を世界選手権に派遣するのが、このハンガリーが初めてということもあり、日本連盟にとっても、私にとっても、未開のチャレンジであったことには間違いありませんでした。


1年目世界フィットネス↓ハンガリー🇭🇺


世界大会まではわずかな時間しかありませんでしたが、その前年、カナダで行われた世界選手権の動画や写真を、インターネットでくまなく検索し、できる限りの対策と準備を重ねました。

ロシア、ウクライナのビキニ選手↓↓



“どれだけ体を絞ればよいか”、“どんなポージングが評価されるのか”、そして、“どんな水着やアクセサリーをトップ選手は身に着けているのか”など多種多様な観点で、毎日、時間さえあれば、ネットを観ていました。

トレーニング開始から11ヶ月目で世界の舞台へ

そして、いよいよハンガリーの地に着き、気付けば、周りには、見たこともないほどのオーラを放つ、美女選手集団に囲まれていました。

インターネットでは、徹底的に研究してきたはずなのに、本物のフィットネスビキニ選手たちは、想像を絶する迫力を持っていました。


各身長ごと40名を超える↓↓各国代表



世界大会時期は、真冬で、肌の露出は少ないものの、着衣の状態でも、筋肉の付き具合がはっきりわかるほどのシルエットで、顔は、バービー人形のように小さく、腕や脚はどこまでも長く、言わば、筋肉を身にまとったファッションモデルのようでした。

大会当日、ステージに上がる前の舞台袖には、ビキニ選手が溢れかえっていましたが、私は、一人浮きすぎて、ある意味目立っていました。

 

「大人の中に、一人子供が迷い込んでしまったような違和感が」

2年目世界フィットネス選手権↓ポーランド🇵🇱

40人はいようかという、ステージ上にあふれかえる各国代表のビキニ選手たちの中で、なんとかセミファイナルに残りたいと必死でしたが、ほんの数分かと思うほど、あっという間に審査は終わり、ステージを降りました。



2回目の世界選手権、今回と同じ、ポーランドにて🇵🇱🇵🇱↓↓


次のセミファイナルに残るメンバーが大会スタッフからコールされましたが、放心状態で、英語がよく聞き取れず、壁に張り出された10数名のセミファイナリストの名前を何度確認しても、“No.394 YURI YASAUI”は、そこにはありませんでした。





「わずか数分で終わってしまった、私の世界挑戦が...」

 

大惨敗直後は、周りの雰囲気に呆然とし過ぎて、あまりの悔しさに、目に涙が溢れてくると聞いたことはありましたが、私の目にはその涙はありませんでした。

その後、大会の幕が閉じ、部屋に戻り、冷静になるにつれ、まったく世界に歯が立たなかったことへ悔しさが溢れてきました。


68キロ→→→→→→→52キロのダイエット↓

しかし、前例がない中、日本ボディビル・フィットネス連盟の大英断により、私は、日本代表として、日本選手として初派遣していただいたのにもかかわらず、まったく結果が残せずに大変申し訳がないという思いに包まれていき、もうどうしようもないほどに落ち込みました。

 

トレーニング開始から10ヶ月で日本一に↓↓

ベッドの上、シーツとベッドカバーを頭からぐるぐるとかぶり、溢れる涙をシーツでぬぐい続け、嗚咽がこみ上げる口でシーツでぎゅっと噛み締めて、夜が明けるまで、泣き続けました。


「こんなにご期待をいただきながら...」

 

「これだけのことをしてくださった日本連盟への御恩を、いつかお返ししたい。」

 

デビュー時↓↓↓↓


3年前の世界選手権初挑戦で、この恩返しの気持ちがわいてきたことで、ここから、フィットネスビキニという競技の普及、そして、フィットネスを盛り上げていくために、私は、日本連盟と一緒に、“やれることはすべてやらせていただこうと決意”し、さらに、日本チャンピオンとして、“フィットネスビキニの将来を背負わせていただこうと覚悟”いたしました。

 

2年目ポーランド🇵🇱↓↓↓↓


それ以来“フィットネスビキニ”は、私にとって、元をただせば、自分自身のダイエット目的で始めた競技でしたが、もはや以前のように、“フィットネスビキニ”は、ただ自分だけの目標や満足感を得るためだけに行える競技ではなくなりました。


トレーニングを始めたばかりの、30才の私


「ボディビルと聞いて、誰もがボディビルがどんな競技だかわかるように、いつかフィットネスビキニと聞いて、誰もがフィットネスビキニがどんな競技かわかるようにしたい」

 

あのときの私の決意と覚悟から、私は、この思いをしっかりと胸に、ここまでの4年間フィットネスビキニをやらせていただいてきました。


今では、大変ありがたいことに、さまざまなメディアに取り上げていただいたり、セミナーや大会のゲストポーズにとお声掛けを頂くことも増え、これまで以上に、多くの皆さまにフィットネスビキニを知っていただけるようになってまいりました。

 

2018年ゲストポーズ↓↓↓↓
MBSスポーツ内閣で、
武豊騎手と共演↓↓↓↓
2018年ゲストポーズ↓


こんな幸せなことはありません、ついこの前まで、30歳過ぎても、ぽっちゃりOLだった私ですから。

 

それだけ、ご注目いただけるということは、多くの方が、さまざまな機会を通じて、私をご覧になり、フィットネスビキニとは何か、そして、フィットネスビキニとは、応援したくなるような競技かをご判断していただいていることでしょう。

 

2018年ゴールドジムセミナー↓↓↓↓↓

フィットネスビキニ日本チャンピオンの私が、今、日本代表として、どう評価されるかは、これまで、私がどれだけ人がまねのできないほどのすさましい努力をしてきたかでもなく、どれだけ人知れず涙を流してきたかではなく、一人のアスリートとして“結果がすべて”というきびしい現実もあります。

 

1年目世界フィットネス選手権↓↓↓

初出場の大惨敗から3年余り、「ローマは一日にしてならず」という言葉がありますが、

私は、明日の世界選手権で、その結果を出すために、

 

「最高の明日を迎える準備を、今日できているかどうか?」

 

と、いつも“1日1歩”の心を大切にと努めてまいりました。

 

今ここで、皆さまの温かいお支えのおかげをもちまして、



「最高の明日を迎える準備」が、すべて予定通り整いましたことを、ご報告申し上げます。


昨日ジムでポーズチェック↓↓

私は、フィットネスビキニ日本代表として、今回の世界選手権に派遣していただいております。

 

ならば、私がポーランドに来てやらせていただくことは、ただ一つ。

 

「“日本のフィットネスビキニは、世界に通用する”と、ここで皆さまに証明するだけ」

 

応援どうぞよろしくお願いいたします。


本日、世界フィットネス選手権開幕です
私の出番は、明日です!!