不幸な時期が無かった事が幸せなのか。 | 目立ちたがりの小心者

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色々とやってみたものの、もはや気力体力が無く、普通の日記やらレポートやらが中心な何の役にも立たない自己趣味のブログになり腐ってます。(;^_^A

思えば生まれて59年間、不幸やった時期って無かったんかも知れんなと思う。

幸せや無かった時期はあるけど、じゃあ不幸やったか?と言われると、そこまでは無いような。

せいぜい、若い頃に友達に可愛い彼女が出来て、自分はと言えば、好きな子にはそっぽを向かれ、アタックしては玉砕しての連続で。
あの頃は周りがひたすら羨ましくて。
自分もイケメンやったらなーと無いものねだりをして。
そんな頃も、今思えば、不幸などというレベルでは無く、周りと比べて幸せや無かったってレベルやなと。

お金が無いのは昔からやけど、明日食べるものにも困るようなレベルに陥った事も無いし、大学卒業以来ずっと仕事にあぶれた事も無くサラリーマンしとるし、子供には恵まれんかったけど結婚もしたし、その結婚生活も四半世紀を超えてきとるし。

両親はすでに送り出したし、自身も小さな癌とかはあったけど、取り立てて大病も無く。

なんとなくまだまだ色々やりたくて出来なくて悶々とする事もようけあるけど、それを不幸と言うにはおこがましい気がするし。

傍から見たら十分に幸せなんかも知れんなと思うけど、これで満足したいワケでもない。

人生に多少は不幸があった方が幸せを感じられるんやろか?

結局、他の身近な誰かと比べたり、過去のいつぞやの自分と比べたり、不幸も幸せも相対的なもんやよね。

幸せと言うわけや無いけど不幸でも無いってくらいがちょうどええんかな。


それじゃちょっとつまらんかな。
なんてのは贅沢なんかな。