一人称(続き) | 目立ちたがりの小心者

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先日書いた「一人称」の話。
書き足りないから続きを書こうと思ってるうちに先を越された(笑)

さておき、せっかくなので続きを。

中学生の時に確か数学だかの担当教師が、何故か英語の話をし始めて、日本語だと、一人称だけでも、私、俺、僕、拙者、儂、自分、と沢山あるけど、英語だと「I」だけなんやから英語は簡単なのだ!と力説してた。
その時は、そりゃそうかも知れんけど、やっぱり英語は嫌いだと思ったものです。

しかし、かように日本語における一人称は多様だ。
前述の他にも、あたし、あたい、なんてのもあるし、さらには方言まで言い始めると、岐阜だと「わっち」か。
私の世代だとあまり使わないけど、親世代は普通に使ってたな。母親なんかは「わたい」とか言ってた気がするし、婆ちゃんは何故か「おれ」やった。

日本全国の方言での一人称、かなりありそうです。
印象深かったのは、青森津軽で聞いた「わ」。
一人称が1文字って凄いと思ったら二人称は「な」だと聞いてさらに仰天した。
一説には、あまりに寒いので、あまり口を動かさなくて済むからなんて話も聞いて妙に納得した。

でも、一人称でその人の印象って結構変わって来る気がする。
私は、独身時代には、一人称に「わたし」を使う女性が好きでした。「あたい」は論外で「あたし」も微妙だったけど、現実的には意外と「あたし」は多くて、今になって思えば「あたし」は意外と「わたし」より気を許してくれてたのかも知れないと思ってみたり。

前回書いたように私の一人称は「私」で通してますが、意外とそんな私は皆さんにどこか心を許してないのかも知れないですね。
確かに、声には出さないものの、心の中で独り言のように叫ぶ本音の時の一人称は「俺」かも知れないなと。

きっと私は嘘つきなのだ(笑)

で、それはきっと見透かされている気がする(笑)
しょせん、薄っぺらい人間なのだ。

一人称。なかなかに難しい。
英語圏の皆さんはどうしてるんでしょうね?

ともあれ、私が一人称を変える事はあるんだろうか?
まあ、私は私でいいや。