みんなそれぞれに事情があり、仕事や家庭があり、それぞれに必死に生きている


この歳(48歳)になると

弱音は吐きたいけど吐けない
相談したいけどできない

身近な人にほど(特に両親、家族、妻や子供)弱い姿は見せれない  
      
身近な大切な人達のいまの環境を維持するためにも
上司、同僚、後輩、会社組織に本音や弱みは見せられない



ここで踏み止まれるか濁流に飲み込まれるかは自分次第

それもこれもこれまでの自分の生き方、働き方、人間関係の作り方の積み重ね

誰も頼らない
誰にも頼れない
誰も助けられない
誰にも助けてもらえない

もしそうだとして、それも含めていままでの自分の生き方の積み重ね

自分の能力、努力、運、物事の捉え方などなど

自分のことも他人のことも本当の意味で信頼して生きてこなかったことの結果なのかもしれない



自分ではどうにもならないことであったり、
ぼく以上に過酷で大変な状況を抱えて生きてる人もいるから

端から見たらいまの自分が抱えてる悩み・苦しみなんて大した問題ではないかもしれない
 
だから口に出したり人に相談するのはやめておこう


そう感じながら、飲み込んで、下手に感情を感じないように麻痺させて、何とか家に着くまでに消化しようと、切り替えようと頑張ってる人達はけっこう多いと思う

玄関を開けたら子供が喜んで迎えてくれたり
何気ない家族の会話や笑顔を見ると悩みや疲れを一瞬吹っ飛ばしてくれるのだけど、

同時に、
その反面、

いまの自分の置かれた立場や状況で、
いまのこの生活をいつまで維持できるのかというプレッシャーが襲いかかる


なのでやはりそれなりに気合いを入れ直し
切り替えのスイッチを入れて玄関を開ける



親もそうして育ててきてくれたのかもしれないし
みんな一生懸命生きてると思う



オチや結論のないことでも
言葉にしたところですぐに解決しないことでも

口に出したり
こうして書き出すだけでだいぶ違うとおもう

自分はいまこう感じているんだ
言葉に出してみたら意外と本心ではなかったと

自分の感情と状況を客観視することができる

損得や利害関係のない
血縁でも友人でもない第三者

だからカウンセラーがいるんだと思う
カウンセリングがあるのだと思う

金額もまちまちだったり
有資格・無資格の問題もあり
日本では身近ではないけど

言葉に出すだけでだいぶ違う



完全に感情に蓋をして
完全に麻痺をさせて毎日を乗り切ると
それに慣れてしまうことがこわい

何も感じなくなってしまうから

その先に認知症やパーキンソン病などの脳神経疾患があるのかもしれない


口を真一文字に結び
機械のような
能面のような表情で帰宅している働く中高年達がいる


「うちの夫・お父さんは何の感情表現もない面白みのないひと」と映るかもしれないけど、


社会や組織の不条理と戦いながら
自分の能力や器の限界を突きつけられながら
それでも何とか守りたいものがあるからこその
必死に生きているからこその顔つきなんだと思う