こんにちは〜
自分では気が付かない育った環境や
周りの影響が
自分に目に見えない呪縛をかけていることって
結構あるかも
と友人と話していて気がついた。
私は、
お金は欲しがってもいけないし
(仕事などで)請求するのも憚られるし
興味を持つのさえ、
なんとなくはしたないこと、
と具体的に教わった覚えはないんだけど
自然とそんな価値観を埋め込まれて育ったような気がします。
ちゃんと向き合ったことがないんで
お金に対しての不安感だけはしっかりあったりします。
コップに半分の水は
たった半分、と思う派です。
でも、まあ〜その程度は良いとしても
自分でとても嫌だなと思うことがあってね。
それは、
堂々とお金のことを話せる人や
特に「もっともっとお金が欲しい」という人のことを
どこか居心地悪く、
ガツガツしていてはしたないと思ってしまうこと。
自分で本当に嫌です。
なので自分の夢や希望を書くノート(引き寄せ的な)にすら
お金持ちになりたい、とか
いくら収入が欲しいとかって書いたことがありません。
誰にも見せないものにすら
意味不明の遠慮をしてしまう。
そして遠慮しない人をどこか見下している節が
更に自分でも嫌です。
ちゃんと向かい合えない分
お金に固執したり
気前よくできないこともあったりして
このコチコチと固まっている鎖のような価値観から
自分を解き放してあげたい。
でも
半世紀以上もこの鎖で縛られているので
この鎖を取り払ったところで
自由になれるのかはわかりません。
この鎖は、それに気がついたら消えるのにね。
今も、
じゃ、お金持ちになりたいの?って聞かれたら
う〜ん、別に。。。
今のままで良い、って言いそう。
自分がもっとお金が欲しいのかどうかすら
わからない。
多分、いくらあっても
不安感に苦しむような気がする。
あったらあったでね。
高価なもの(必要のないバッグとか)が欲しくなると
罪悪感に苦しむし
その罪悪感への反発で買っている気がする。
うん、反抗心で。
純粋に楽しい気持ちでお買い物できる人が
心から羨ましい。。。
まずは時々、お弁当でなくテイクアウトのランチや
ドリンクを買うことから
始めてみようかなと思う。
とか言って
多分、無理
この世から去るとき
数分でも考える余裕があったとしたら
多分、
なんだ、それならあれもこれも買えばよかったって思いそう。
とりあえず明日はまたテイクアウトのランチを買おうかな。
練習として。