校舎よ、さらばの謎
アンニョンハセヨ数日前まで、いつまで夏なんかいっっと思ってたのが、昨日から、まじ昨日からいきなり肌寒くなって、体がついてこない。いきなりですが清州高校という学校がある。私が住んでる清州(チョンジュ)という都市で一番頭の優秀な学校。昔はまじでエリート校だったらしい。今も?今年なんと100周年を迎えた。今の高校の姿はこんな感じ。学校のロゴ↓1924年と言えば、まだ大日本帝国時代真っただ中で。学校には校友会という、先生と生徒が作った組織があってその会が校誌を発行していた。校誌の名前は「舟城」(チュソン)「舟城」(チュソン)というのはここ清州市の昔の名前?別名。そのまま付けられている。この度、この100周年記念ということで、記念文集が出されるということで高校のいろんな歴史について載せていこうと編集部が書庫をあさっていたら、なんと開校当時のこの高誌が出て来たそうで。 実行委員会はうぎゃ~~~どうすんべ~~っとなった。韓国人にとっては、良い歴史ではないはずの日帝時代の書物であって開いてみたら、やっぱり全部日本語でもう見つからなかったことにしましょーかとまでなってたらしいがいやいや、やっぱ、うちの高校の大事な歴史の始まりなんで全部翻訳しましょーよ、ということになり、いちお、ネイティブジャパニーズの私のところにこれ、チョー急ぎで翻訳してっっ!!と託されたのが、これ。韓国は日本帝国時代が終わったあとに、朝鮮戦争があって国の中がぐちゃぐちゃになったはずなのに、この舟城の高誌は、しっかり第6号まですごくきれいな状態で保管されていて感嘆もの。当時、大正の終わりから昭和の始めあたりなんでこんなにも日本語変わったんか。。。って思うくらい解読に難しい文章もあった。かなり裕福なおうちの子供たちだったのではと思うのだが、70%は韓国人、30%は日本人。全員日本語使用。修学旅行など、低学年は北朝鮮、高学年は内地で(内地というのは当時日本本国のことをそう言っていたらしい)釜山-下関-大阪-奈良-京都-東京-日光-大阪-釜山という日程で、10日くらいの旅なのでかなり高価だったのではないかと想像。あと、もっと不思議だったのは、その当時の高校生の姿。当時は、たぶん高校生とはいえ、卒業して数年もしないうちに所帯を持ったり、また時代背景としても、一人の若者がお国のために!という気持ちがマジであっただろう時代なので今の高校生よりずっと大人びてるのは、まあ、わかるとして。私がなんだかもやもやだったのは「卒業の言葉」卒業にあたり、卒業生に、一人3~5行の言葉を残してください的な箇所があって、全部翻訳してみると。全体の8割方が、なぜか「さらば懐かしい校舎よ」え校舎なんあとの2割のなかには、さらば、校門よと、さらば、松の木よそれから、さらば、ポプラの木よさらば、我が机よ卒業といえば、なんとなく今だと、仲良かった友達と別れるのが寂しいとか楽しかった思い出とかちと思慮深い子だと先生ありがと、とかなんかいっぱい出てきそうなんだけど、みんながみんな校舎にさらばを告げている。これってもしかして私が変なのか?って思ってしまった。それともこの時の背景が、あまりへんなことが書けないようななんか圧力があったのか?というか。旅立つときにはあーもうここにはあまり来れないなあとちょっと感慨深くもなるけれど、校舎さん、いままでありがとう。涙が出るよ。みたいな気持ちに私の場合はあんまりならなさそうだった。…ということを韓国人の友達に話していたらうわ~~~~~私はFだから、なんかちと分かる~~~~と言った。このFとは何かというと、MBTI性格判断で、韓国ではけっこう、この性格判断を話題にする。Fはその場の感情や気持ちで動いて、Tは理屈・理論で動くと言われるやつ。時々韓国人は「あんた、Fだよね」とおちょくったりもする。んで、その友達は、卒業式の文集に、校門の脇に植えられていた松の木が懐かしいと書いたんだそうだ。松の木ん~~~~わたしゃ、学校の松の木。。よー覚えとらんし速攻忘れるような感じするが。みなさん、こんな感情、よくわかりますか。8割がさらば校舎さん。8割、Fだろうか。まさか。では、また。。。納得できないまま。やっと400ページの翻訳終わったよ。あんにょん。