月一子ども食堂のボランティアおやすみラブラブ

窓の外には感動の空

 

 

 

 

 

 

 
 
ふと気付いたら
いつの間にか
子供への心配を
しない自分になっていた
 
 
 
 
昔あんなに
心配していたのに
 
 
 
(心配する事が
愛だと思っていた凝視キラキラ)
 

 

 

 

何でこんなに

軽くなったんだろう?

と子育て時代を辿ってみたら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多分この辺で

「あれ?」って思ったかも知れない

 

 

 

3人息子の上2人が

子供への心配に対して

軽く笑い飛ばしてくれたから

あまりにも軽いエネルギーだったから

 

 

 

概念が

ひっくり返り安かったのかもしれない

 

 

 

心配より信頼された方が

力が湧いて来る

 

 

 

自分の事を信じてくれた

方が本来の力を発揮しやすいよね

 

 

 

自分が子供だった時

私も私と言う人間を

信頼されたかったし

個性を尊重されたかった

 

 

 

個性的な私が心配で

普通に戻さなきゃって

私を逐一監視していた母親

 

 

 

母親にギュッ握った手を

広げて欲しかった

私をゆるっと許して欲しかった

 

 

 

母親の態度で傷ついた

自分はいるけど

 

 

 

それは母の思い込みの問題で

私に問題はない

 

 

 

私も心配を愛と間違えて

思い込みを抱えて

やってきたからね

 

 

 

私の子供にも問題はない

 

 

 

何にも問題はないけど

ギュッ握りしめている物に

振り回されていただけ

 

 

 

しかし子供には感謝しかない!

心配を笑い飛ばせるあの軽さ

 

 

 

笑いと軽いエネルギーは

人の思い込みをひっくり返す

事ができるのか?キラキラ

 

 

 

心配不要と教えてもらえたお陰で

子育てがとても楽になったぁ爆笑

 

 

 

ちなみに私の母親は

私が大学に行くって

決まったあたりから

(ちなみに誰でも行ける短大)

 

 

 

急に圧が無くなった

 

 

私が何をしても

気にならなくなったみたい

 

 

大学に行かせるまでは

何とか人並みに育てないと

って思ってたのかな?

(学歴主義か!?時代?)

 

 

 

母親が軽くなった辺りから

私は本当にやりたい事を見つけて

その道をずっと歩んでいるよ

 

 

 

握りしめたものを

手放すって

 

 

自分も楽だし

周りも本来の自分を

行きやすいのかもね〜?

 

 

子供を見習って

私も深刻になってる事を

軽く笑い飛ばしてみたい!ラブキラキラ