一年前の6月9日。

あんなに泣いた日は

この先もう一生ないかもしれない。



その日は朝から具合が悪く、病院へ行った。

レントゲンをとったあとに言われた。

すぐに入院してください。

12日が隊所式の予定で

やっとスタート地点に立てるんだって

思った矢先のこと。

目の前が真っ暗になるって本当にあったんだ。

健康が絶対条件の協力隊。


涙が止まらなかった。


悲しかったのは病気になったことじゃない。

仲間と一緒に頑張ってきたのに

仲間がいたから乗り越えられたこと、たくさんあったのに

肩を並べて歩んできたのに

その瞬間から

私だけ

みんなの背中をみないといけなくなった。

病気をなおしてからでも遅くはないと

人は言ったけれども

私はどうしても20年の一次隊として

仲間と一緒に

飛び発ちたかったんだ。



隊所式当日。

どうしても出席したいと懇願した。

混乱をさけるため

隊員が入場した後に席に着席し、

来賓の方々と一緒に退場してください。

と言われた。

席は一番うしろ。

それでもいい。

どうしても最後に私も20年一次隊として頑張ってきたんだって

思いたかった。


ひとりひとり名前を呼ばれる。

フィリピン派遣予定の隊員。

以上、5名。

そうか、こんなこと予想してなかった。

私、人数に入ってないんだ。

ただ出席したいってつっぱしって

無理言って席に座らせてもらったけど

なんかもう無理なんだなって

余計に思い知らされただけだった。



みんながスタート地点にたち

希望にあふれいきいきとしていたとき

一人病院のベッドで

泣くだけ。


それでも家族が支えてくれ

友達が励ましてくれ

仲間が「待ってるよ」って言ってくれた。



最初は反対していたけど

最後は納得して応援してくれた家族。

気持ち良く送り出してくれた会社。

いろいろ相談にのってくれた友達。

世界へ飛び発つ仲間。



このままあきらめていいのか。



フィリピンへ行ける可能性があるのならばと思い

手術を決めた。


手術後一ヶ月間不安な日々を過ごした。

希望はあると自分を励ます反面

術後すぐに赴任できるわけない。

ましてや途上国の南の島で設備が整ってる病院なんてない。

やっぱり無理なのかなって考えたりもした。

みんなに迷惑たくさんかけた。


普段涙なんて流さないのに

この一ヶ月間はとにかくつらかった。


そしてJICAからの連絡。

一週間後に出発です。


信じられなくて

いてもたってもいられなくて

二年間この地を離れるのかとも思う余裕もなくて

ただただ

希望に満ち溢れるだけ。


宗教なんてないけれど

神様ありがとうって

感謝した。



そしてフィリピンへ。

任地バンタヤン島の地を踏んだ時

急に涙がでてきた。

待ってたよってみんなが笑顔で迎えてくれて

またおお泣きした。

どうしたんだって驚いてたけど

もう人目なんて気にしない。

泣きたいだけ、泣いた。





私に何ができるのか。

任地の人々の長い人生の中で

かかわれる時間はたったの二年間。


結果がだせなくてもいい。

ただ、この地で二年間日本人が何かやってたんだよって

覚えててくれればいい。

少しでも影響を与えることができればいい。


私にも何かできることがあったんだって

自信につながればいい。



家族に感謝し

仲間に感謝し

友達に感謝し

会社に感謝し


なにより温かくむかえてくれたフィリピンの大地と人々に感謝し

毎日毎日鶴を折る。




一年前。

今までで一番つらい時期だった。


でも今こうして

フィリピンの大地にむかえられ

元気に過ごしている。