東日本大震災から13年 | 仙台占い・縁結び・縁切り 葉月ゆりんヒーリングオフィス

仙台占い・縁結び・縁切り 葉月ゆりんヒーリングオフィス

霊感・霊視鑑定と強力縁結び・縁切り、引き寄せ術、ご祈祷で30代~50代女性の良縁結び、恋愛成就、復縁、婚活、出会い、略奪愛、幸せな結婚を「仙台」葉月ゆりんヒーリングオフィスが全力でサポート致します!!!

いつもブログを読んで下さり

ありがとうございます。

 

「占い・縁結び・縁切り」

葉月ゆりんヒーリングオフィス

天使のメッセンジャー

葉月ゆりんです。

 

 

東日本大震災から13年が経ちました。

今年は元日に能登半島地震が起き
千葉でも震度4の地震が続いていたりして

「関東直下型地震が来るのではないか?」

「巨大地震が来るのではないか?」と言われており
皆様も危機感を持って毎日を過ごしておられると思います。

 

日本に住んでいる限り残念ながら

地震から逃れることは出来ません。

 

大難が小難に・・・

小難が無難になってくれると良いのですが・・・

 

震災の時の事はあまり鮮明に覚えていなくて

だからこそ前に進めるのだとは思うのですが

地震の揺れも今まで経験した事のない揺れで

本当に恐ろしかったですし

このまま大きな横揺れで家が潰れて

圧死すると覚悟しました。

 

阪神淡路大震災の時に目の前をタンスが走っていったと

いう話を聞いてどういう事?とピンと来ませんでしたが

我が家も目の前をタンスやら机が走って行きました。


私がテレビと大きなタンスだけは対策をしており
お陰で倒れていませんでしたが

他は全て倒れており
足の踏み場もありませんでした。

 

11日以降は今度は生きるための

サバイバルの様な生活が始まります。

ライフラインは全てストップしており

携帯や固定電話も11日の日は

100回に1回位繋がる位で

12日からは全く繋がらなくなりました。

 

夜はお仏壇のろうそくと懐中電灯だけが頼りで
真っ暗闇がこんなに心細く恐ろしいものだと

初めて知りました。

 

11日には使えていた水道も12日には出なくなり

私は実家に避難したのですが

ラジオもなかったので

何が起こったのか?全く分からず

次の日の朝に外に情報収集に出かけ

宮城県沖地震とはまた全然違う

大地震が起きたのだと知りました。

 

数日後に食料がなくなったため

避難所に行くとあんなに食べ物があるのに
「家がある」という理由で追い返されました。

 

あの時、うず高く積まれていたダ〇ルソ〇ト

の事は今でも忘れません。

 

お米などはありましたが

電気・ガス・水道がストップしているので

石油ストーブでお正月の余っていたお餅を焼いて

食べていました。

 

避難所の人が見るに見かねて

ここに避難している事にして

食べ物をもらったらと言ってくれて

そうしたのですが

とにかく融通の利かない市役所職員で

「とにかくダメなものはダメ」だと。

 

私も頭に来て

「あなたが言ってる事は

〇〇市の公式な見解って事ですよね?

電気が復旧したら私はありとあらゆる媒体に

〇〇市の対応がいかに酷かったか全て世間に公表します!

あなたの言葉って言うのは

当然=市の見解って事ご存知ですよね?

もちろん、あなたのお名前も全国に知れ渡りますよ。」というような事を言いました。
(もっと阿修羅ゆりん全開でしたが(^^;) )

 

驚いたんでしょうね・・・

渋々、家族5人に対してバナナ2本とサラミ2本くれました。

1人分ではなく5人分です。

これがこの日の夕食でした。

 

それからは食料の確保もですが

お水の確保です。

家から往復1時間歩いて一人たったの4リットルしか

お水がもらえません。

しかも、物凄い数の人が並んでいて時間もかかる。

 

私達がお水をもらうのに並んでいると

市役所の職員が吞気に後ろ向いてお茶を飲んでいるんですよ。
腹立たしくて・・・

 

しばらくしてから近くの学校に自衛隊の人達が来てくれて

そこでは最初こそ12リットルとか

制限があったような気がしますが

ほぼ制限なくお水がもらえたので
本当にありがたかったです。

 

トイレのお水は歩いて20分位の所に川があったので

そこからくんで来ようと思ったのですが

ふと、あれ?ここの池のお水頂けないかしら?と思い

警備員さんに聞いたところ快くいいですよとご許可を頂いたので
ここからせっせとくんで浴槽にためていきました。

 

誰か鯉を放した人がいて生臭いのですが

贅沢は言っていられません。

私達の姿を見て多くの人がそこからトイレの水を

くんでいくようになりました。

私は止めた方がいいですよと言ったのですが

この水で髪を洗っている人もいました。

 

トイレが流せたのはありがたかったですね。

 

少しづつガスが復旧し、電気が復旧し

最後が水でした。

 

津波で流れて来たソーセージやチキンナゲットを

食べた事もありました。

(もちろん、工場に行ってご許可を頂きました)

 

私は家はありましたが

髪の毛も3週間位洗えなかったですし

お風呂に至っては1カ月位入れなかったと思います。

逆に避難所の人の方がお風呂は早く入れていたような・・・
テレビで自衛隊のお風呂に入っているのを

いいなあ~と思って見ていた記憶があるので。

 

同じ宮城県でも被災した体験は全然違くて

色々な人に話しを聞きましたが・・・

 

後ですね、災害に遭って初めて分かったのですが

普段、首長の事なんて興味がないじゃないですか?

 

復興の早さって市長次第なんだなってつくづく感じました。

岩沼市ってあるんですけど

(仙台空港のある所)

他の市や町の人も岩沼市長はやり手だ!

あそこはどんどん復旧している!とみなさま

口々に言っておられました。

 

スーパーやコンビニがようやく開いても

欲しいものは買えません。

(モノがない!)

 

いつ、どこのスーパーが開くのか?の情報もなく
自転車で1時間かけて隣町まで行って

2000人の人が並ぶ中

わずかな食糧を手に入れる事もありました。

 

美談ももちろん沢山ありましたけど
酷い人も多くて・・・

こういう時に人の本性って表れるなあ~と

つくづく感じました。

 

私は全国にいるお友達や知人の方から

食べ物や生活必需品を送って頂き

それで生き延びる事が出来ました。

本当にありがたかったですm(__)m

 

家が倒壊してしまっては意味がないかもしれませんが

やはり1週間分位のお水や食料は用意しておいた方が

良いと思います。

 

地震の怖さはもちろん揺れだったり

家が倒壊したり・・・もあるのですが

国が備えていないところが1番怖いんです。

 

能登半島地震を見て、相変わらず冷たく固い床の上に寝ている姿、

トイレが足りない、寒い、

自分の家からカーペットを持って来て敷くとか・・・

唖然としました。

地震大国なのになぜ?いつ何が起きてもいいように

準備をしていないのか?

 

全力で被災した人たちに手を差し伸べないのか?

 

東日本大震災の教訓が全くとは言いませんが

活かされていない事に愕然としました。

 

東日本大震災の時に多くの国から

沢山のご支援を頂きましたが

残念な事に復興に使われずに

震災とは全く関係のない所にお金が使われてしまい

未だに復興は道半ばです。。。

 

トラウマやPTSDで苦しんで

心療内科や精神科に通院されている方も

多くいらっしゃいます。

 

この先、必ず東日本大震災を超える規模の

地震が遠からず来ます。

その時、日本はどうなるのでしょうか・・・

 

今月から5月末位までは

本当に気をつけて下さい。

 

時期はずれる可能性は大いにありますが

やっぱり5月と「11」という数字が気になります。

 

5月か11月という意味なのかもしれません。

 

私が今勝手に恐れているのは

2年前から警告されている

日本が真っ二つになるというものです。

 

最初はコ〇ナ禍で分断された人の心の事かなあ?と思ったり

戦争の可能性は今もあるのですが

佐渡島⇒新潟とずーっと気になっているのですが

2月の終わりころから「糸魚川」という地名が気になり

場所って新潟のどの辺だっけ?と調べると沿岸の町だったので

驚きました。

 

そこから何気なく「糸魚川 地震」で検索したら

糸魚川静岡構造線と言うのが出てきて

調べれば調べるほど

私や妹が視たのはこれだったのかも・・・と

恐ろしくなり先週は自分でもどうして良いか分からず

かなり情緒不安定でした。

 

私も妹も日本の大地が割れると言いますか

裂けていく夢を同じ日に見まして

もし、これが本当に起きたら

日本は大変な事になると。

 

あくまで夢なのですが

自分でも日本でかなり

安全だと思っていた長野県だった事に

かなり驚いております。

よく都市伝説で2025年に備えて

長野に引っ越している人がいるって

耳にしていたので・・・

 

個人で出来ることには限界があるのですが

出来るだけの備えをしておく必要があると思いますし

今年はありとあらゆる災害が

起きるのでは?とも言われておりますので

とりあえず5月末位までは気を引き締めて

お互いに過ごしていきましょう!!!

 

東日本大震災で亡くなられた方々の

ご冥福をお祈り申し上げます。