ブログを書き始めてもうすぐで3ヶ月。

ふと、これまでの記事をもう一度読み返してみましたPC

改めて読んでみると、思いついた時に書いたとは言え、日々色んな事が起こってるし、感じてるなぁ…と書き留める事の大事さを実感。

なかでも、自分自身が感じている【生き辛さ】はよく出てくる




私は、4人家族の次女として生まれました。


寡黙でスポーツ・歌・お酒が大好きな父、
働き者で活発でいつも人の中心にいるような母、学校ではいつも優等生で活発で、常に友達からも先生からも慕われてるような姉、
の中で育ちました。

父は穏やかで優しい人でしたが、職を転々と変え、我が家は決して裕福ではありませんでした。
家計を支えていたのは、働き者の母の収入が殆どでした。
私たち姉妹が育ち盛りの頃に、父が職を転々として収入が減っていたので、その頃若かった母でも毎日ずいぶん疲れていたのを思い出します。

姉は前記の通り何も言わなくても手際良くサクサクできる優等生タイプだったけど、私はその真逆で、不器用で人の目ばかり気にしている、どう見ても劣等生💦

自転車を漕いだり走ったりスポーツしたり、外遊びが大好きで活発な部分もある私でしたが、心にはいつも【何かしらの不安】を抱えていました。


私は"心配性だけどあんたが大将!"みたいな母から厳しく育てられました。
常に「こうやってすれば間違いないから!」とレールを引かれて、子供の頃は何の疑いもなくその上を歩いて生きてきました。
母も、あまり体が強くなかった私を心配し過ぎてそうしていたのでしょうが、私自身もそうしてる方が楽でした。



心に【何かしらの不安】を抱えていた事について…


人様に迷惑をかけるな…と厳しく育てられたので、きちんとしなきゃ!きちんとしなきゃ!と、随分背伸びをして生きていました。
そして、ある程度自分の意思が定まってきてからは、いつも私を、良くも悪くも自分の所有物のように接してくる母に悩む日が続きました。


そんな中 自分が、HSP・エンパスという気質である事も判明しました。

20代になって分かったので、それまでは「どうして自分は普通の人のようにできないのだろう」と本当に苦しみました。
人の感情が分かるし全て拾ってしまうしで、自分の感情が忙しくて毎日ヘトヘトで帰ってから寝込む事もありました。
今 考えると、無意識に近くにいる人のチャネリングをやっていて、人の感情をまるで自分の感情のように受け止めていたんだなぁ…と思います。

今だからこそ、疲れ果てていつも不安を抱えていた理由が分かるけど、その時は本当にキツかった…。
父親似の私。
多分、亡くなった父も毎日が相当キツかっただろうな…と思います。

シールドを張るとか境界線を引く…なんて事、その時に知ってたらもっと楽だったろうな。
でもその時は知らなかった事も意味があったんだと思う。


改めて、これまでの事を思い出しながら書いてみると、辛かった事ばかりじゃなく、たくさんの愛情も受けて生きてきたんだなぁ…とも気付きました。




ついつい長くなってしまいましたので、この続きは次に書く事にしますウインク


ここまで読んで下さってありがとうございました❤️