自己犠牲? | ペッカプのブログ

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以前創価学会の人が、そこに真理がなかったら、犠牲になっても単なる自己犠牲でしかない。ときっぱり言っていた。彼らはナンミョウホウレンゲキョを仏法の真理としている
教会では為に生きるとかとうげん革命(自己否定)。全体のために犠牲になることを美化しているが、いつものきまり文句である真の愛が偽りの愛であったら、やはり単なる自己犠牲にすぎない生き方になります。み言葉改竄も都合のよい解釈でみんなを利用する為のすべなら、真理や真の愛からは、かけ離れています。かつて日本の戦国時代に織田信長を筆頭に、国を二分する戦乱がおきました。今までの同盟は破綻して、戦乱に巻き込まれた武将たちは、城を守る為に、自分の命とひきかえに城の住人や戦乱から地元の人達を守りました。時が流れた現代でもその業が大切に語り継がれていました。城までの道は整えられていて、最近頂上はイルミネーションでライトアップされていました。正月の初日の出の写真や春の桜の写真や秋の紅葉など四季折々の写真がかざられて、今でもこんなに大事にされた城の主人は喜んでおられるのかもしれませんね。かたや奈良時代や平安時代に盛んだった山岳信仰のお寺は訪れる人もなく、廃棄になった例もあります。豪華絢爛な建物が並ぶ韓国の清平もへたをしたら何年後かにたぬきや狐のお山にもどるかもしれませんよ。

教会で良心革命や心情革命など言いますが、わけわかりません。現実をみたら、恨みを昇華する果たして真の愛があったのでしょうか?真理がなかったら、単なる自己犠牲ではあまりにも不条理の世界が展開していたのではないでしょうか?
為に生きる。と言いますが、親子、夫婦、兄弟姉妹、氏族など、一方的な関係ではなく、いかにあるべきか考えさせられます。