良かった事もありますか? | ペッカプのブログ

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教会に来て良かった事は、思考方向だ。例えば神様やアベル(神に近い人)に人をつなげないと、自分に引きつけてつながっては、霊的な命が生きない。と言われていました。

男性や女性が自分に引き付けて愛の虜にするような生き方ではなくてあくまで神様につながるまでの繋ぎをする人ですか?


だから、自分が否定されようと、寂しくなかったし、むしろアベルとの和睦が喜びでした。


ある日ホームヘルパーの研修で利用者さんの家で料理を作りましたが、その人は難しい人で家族が作っても気にいらなかったら、絶対に食べない人でした。案の定ヘルパーの料理は手をつけませんでしたが、家族の人が好物を差し入れたものは美味しそうに食べていました。

その時にいつも自分達が作ったら、食べてもらえない。と看護師の人は寂しさを感じたようでしたが、私は家族が差し入れた好物を喜んで全部たべた利用者さんに感動しました。身近な家族との和睦が一番ですから。主役はやはりいつも脚光をあびて素敵ですが、主役の陰で黒子に徹して見えない所で働いている人はたくさんいます。そんなサポート達のおかげで主役が輝くのです。


教会に来て脇役の苦労が痛いほどわかったから、人の気持ちもわかるようになりました。華々しい世界だけでなく裏の裏まで知りすぎました。


清平でも昔は恨の神様を解放して、怨讐とも和睦していきましょう。と言っていましたが、今は全くのご利益になっています。


人類一家族なら、犠牲になった人達を助けないといけないし、自殺や自己破産が絶対におきてはいけません。今でも都合よく人類一家族だから、協力だけ要請していますが、協力した人達が困った時は誰も無関係で助けないのは、絶対におかしい宗教です。


思考方向で良かったこともありましたが、あまりにも組織優先で個人には感心がないのは、神様のみ心とは言い難いですね。