結局上が悪いと? | ペッカプのブログ

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今でも独身の時に最後に勤めた会社を思いだします。
女性が多い職場で人間関係が大変でした。離職率が最高、ある日同僚の人が、皆仲良くしたいし、誰だってもませようとは思ってないのに、なぜいつもごちゃごちゃもめて、人が辞めてしまうのかしら?


おっしゃるとうりでした。特に上司は皆の仲を和睦させるのではなくて、ますます火に油を注いでいました。カトリックの信仰を持つ人だったので、人格と信仰は別なのか?その人には、不信感を持つようになりました。結局人が信じられない苦しみと信じてもらえない苦しみ、まさに神様の苦悩がこれだと思いました。

何年かして上司が家庭の事情で辞めてからは、寿退職以外には人が辞めなくなりました。一件落着でしたが、その後私も結婚して退社しましたが後輩の手紙では、皆が仲良く、力を合わせて頑張っているようでした。その上司に個人的な恨みはありませんでしたが、皆をもませていたのは彼女だったのが一目瞭然でした。人間不信と嫉妬や妬みが蔓延していたのかもしれません。


今の家庭連合も結局職場と同じような事がおきています。それにお金や権力の争いがからんでいるので職場よりも始末が悪いです。結局上が辞職するとか、劇的に変わらないと同じ事の繰り返しが延々と続きます。

信じたくても信じられない苦しみ、信じてもらえない苦しみはずっと続くのではないでしょうか? 果たして神様の苦しみが上の人達にわかっていたのか?甚だ疑問です?


教会のある姉妹が、結局教会は人を利用して使い捨てだった。自分は六マリヤも知らなかったし、結局メシヤではなかった。と判断して、辞める決断をしました。それからは、現役や分派の人とは絶対に付き合わない判断をしました。


それって結局自分の利害で人を判断しているのは教会と同じだと気が付かないのでしょうか?