南無阿弥陀仏 | ペッカプのブログ

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浄土真宗の南無阿弥陀仏でさえも様々な言葉の解釈で混乱したそうです。それを正すためにお坊さんが関東から石見や安芸の国まで来て教えをひろめたそうです。結局言葉ではなく実体で教えを示すことによって、南無阿弥陀仏は大衆に受け入れられました。


み言葉も解釈がどうのこうのではなくて、背後にある神の愛を実体で示さないと根ずきません。最近思うことは、愛や情のない個人や企業は一時的に発展しても結局限界がきます。神様がひぞうぶつを創られた動機が愛だったので、利にかなわないのです。私も動機がお金儲けや地位の為にやっている個人や組織とは縁を切ってもかまないと思うようになりました。だって運勢もないし、後味も悪いですから!


それと後継者のいない個人や組織もだめですね。小さな地域のお大師香一つとっても年寄りばかりで廃止になったところもあります。幸い私たちの地域は若い人がたくさん後に続いたのでとうぶん大丈夫です。お年寄りも若い人にすべてを引き継がせたのは賢明な判断でした。世代交代が個人から組織に至るまで、円滑にいけば物事が爆発的に発展するようです。古いものでもよき習慣や慣例は是非引き継ぎたいものです。


彼の宗教も世代交代と根本的な解釈の実体化が上手くいかなかったようです。だから今は三つも四つも分裂してしのぎを削っています。空中分解する前に個人個人の賢明な判断が大切です。