お父様の弔問の時に一番末席におられたので、挨拶の一番最後に目が合ってお顔をしっかり近くで拝見しました。一瞬どのお方か考えました。あまりお父様の愛をふんだんに受けてないように見えました。それは仕方がないことかもしれません。今はお母様の近くにいらっしゃるので、一番愛を受けられていらっしゃるようです。それは大変良いことですが、心情は理屈ではありませんから、感謝して許して愛して団結は悔い改めがないと絶対に無理だと思います。お父様なら理屈ではなくて、皆様を悔い改めに導かれると思いました。例えば、家族に毎日食事も弁当もを作らない人が、家族のために感謝して、ために生きましょう。と言っても全然相手に響かないのと同じです。しかし人の評価は未知数です。未来がありますから。何だかんだはいいたくありません。ただ言葉に違和感を感じただけです。以前の世界会長を文武両道で達人だと皆様の前で太鼓判を押して称えられたあの方は多分位置に仕えておられたのですね。今は何もおっしゃらなくなりました。尊敬の限りを尽くされていたようにお見受けしましたが、世界会長が天宝会を作られて、祝福を行われていました。そしてたくさんの人から感謝されていました。また日本にも再三訪問されて一緒に写真もとりました。だから心に響く事がたくさんありました。私はあの方のように位置にだけ仕えるスルスル蛇のような生き方はいやです。
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