地上の生活 | ペッカプのブログ

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原理講論には、霊人体のすべての感性も肉身生活の中で、肉身との相対的な関係によって育成されるので、人間は地上で完成され、神の愛を完全に体恤して初めて、肉身を脱いだ後のその霊人体も神の愛を完全に体恤することができるようになるのである。このように、霊人体のすべての素生は肉身のある間に形成されるので、堕落人間においては、霊人体の悪化は肉身生活の犯罪行為に由来するもので、同じく、その霊人体の善化も、肉新生活の贖罪によってのみなされる。罪悪人間を救うために、イエスが肉身をもって地上に降臨された理由はここにあるのである。それゆえに、我々は地上で善なる生活をしなければならない。したがって、救いの摂理の第一次的な目的が地上で実現さるなければならないので、イエスは天国の門の鍵を地上のペテロに授けて、地上でつなぐことは天でも皆つながれ、地上で解くことは、天でもみな解かれるであろうと言われたのである。(マダイ十八-18)


自叙伝にも神のみ言葉よりも神通力に惹かれて教会に来る人もいました。彼らは霊的な能力に最高の価値があると思ってすがりつきます。しかし、一般に奇跡といわれるものは世の人々を惑わすのです。奇跡にすがりつくのは正しい信仰とはいえません。人間の罪は、必ず贖罪を通して復帰(罪のない元の状態にもどること)しなければならないのである。霊的な能力に期待しては絶対に駄目です。教会が定着してくると、私はそれ以上、心の目で見たことを信徒に話さないようにしました。




霊的な世界が三次元に迫りくる時代になりました。巷では色々な事件や事故が続出しています。本当に一般の常識では考えられないできごとが起こっています。ご利益ばかりの宗教が宣伝になって人々を集めていますが、雑多な霊界にふりまわされないでメシヤが地上に残した真理のみ言葉と祈りで現実世界を切り開いていきたいものです。この先まだまだ考えられないような事が起きるかもしれませんが、神様は人間性が悔い改めて、責任をはたすのを切望されていると、思っています


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