言葉の背後の心情 | ペッカプのブログ

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今過去を振り返ってお父様が直接語られたみ言葉は、すごく私のなかに残っています。きっと霊人体に刻まれているのですね。良心は、神様にまさる。良心は、先生にまさる。良心は両親にまさる。お父様の語られた言葉は永遠でした。しかし講演会や啓蒙でたくさんの人が教会の位置で語られましたが、内容も印象も今では、自分のなかに何も記憶さえも残ってないのは、なぜでしょうか?その時はとてもインパクトがあり、機知に富んでいました。きっと語られた言葉の背後に心情が、感じられなかったのですね。しかも自分の利害で語っていたと思いました。昔大学の講義で今でも覚えいるのは、先生の情熱や切なる思いが伝わったからだと思っています。言葉は神様から出たのかあるいは人間が考えてできたのか?言語学の先生が頭を悩ませていました。きっとはじめに言葉ありき!神様からでたのでしょう。それなら古代ギリシャのソフィストのように言葉だけを巧みに操る者になってはいけません。ことばの背後に流れる神様の心情までたどり着きたいものです。神様=み言葉ではなくてみ言葉の背後にあるのが神様の心情です。