題名は悪意に取られるかもしれない。でも、それくらいあり得ないことだと思う。まだ子供がハイハイして、やっとタッチするくらいの可愛い時期。ある日の朝、私はもう夫の暴言や罵声、イラつくと物を壊したり大きな音を立てたり怖がらしてくる事に限界きたして、「私、もう家を出ていく」と、離れたいことを口に出した。すると口論になるのかと思った矢先…突然背後にまわられ両手で首を絞められた。男の人の力はどんなに全力でもがこうと暴れようと回避出来ない。息が苦しく、もう意識が朦朧としかけた時、心の中で子供の事…両親のこと…心残りな事が深く胸に湧き、涙が流れた。意識がもう限界かなと思った時、私の足元に子供がハイハイして近寄って足元を握ってくるのがわかった。ごめんね…ママ死んだらどうしよう…誰か助けてと願った事は鮮明に覚えてる。もうあと数秒で意識失ってたかと思った瞬間首を強い力で締め付けていた手が緩んだ。そして、夫は「俺が仕事から帰るまで家から出るなよ」「警察に行くなよ」と言っていた。あの時はただ助かった事だけがホッとしたのか子供を抱きしめて涙目で放心状態だった。夫はその足で普通に職場へ向かった。夫が居なくなりだいぶん時間が経ったと思う。お昼前にはなっていた。鏡で自分の顔を見ると眼底に出血斑が出ていて両目の下に紫のクマができていた。泣いていたからか目も腫れていた。そして、やっと考える力が戻ったのか、夫が家にいるように、警察に行くなよ…と言っていた事の意味が理解できた。それくらい思考力は完全に停止していた。この日は、よりによって実父の誕生日だ。父の誕生日に死ぬなんて、私は親不孝すぎる…。色々と考える力が戻り、数日前にネットで見つけたDVを受けた人を助ける団体の人に勇気を出して連絡してみた。
その人には「ゆりこさん、命は大丈夫?怖くて動けないでしょうけど、勇気を出して家を出て!私達が連れに行く事は出来ないの。お願い一歩踏み出して。シェルターって居場所を用意しておくから子供と逃げて!…」等の話をしたように覚えている。家を出た後はタクシーに乗り、どの様にたどり着いたのか隣の都市の一軒家に行き着いた。そして、まずは病院受診までさせてくれて、点滴をし、首を絞められた事による酸欠眼底出血斑、憔悴等を書いた診断書も貰った。全治何週間だったか…後になって離婚調停で役に立つ証明書になった。後になって思うのは、よくも出勤前に家族の首を絞めて、警察に行くなよ…と冷静に言って出勤出来るなぁ…と。夫はあの時どんな思考回路だったんだろうか。こんな事をして医者です…と普通に患者の診療をしていたのかと思うと、理解に苦しむ。そして私はシェルターと支援団体の存在に命救われた。