今日、偶然目にしたブログのテーマがこちら。
「時間を守る必要ってあります??」
先週は「パワハラコーチが結果を残しているけど、それってあり!?」というテーマで、スポーツコーチの皆さんが井戸端会議をしていたりと、いつも興味深い議論を展開されているスポーツコーチングJapan(SCJ)さんのブログだ。
「遅刻」については、私も散々マネージメントに苦労したので、改めて思考を整理してみたい。
【遅刻してくる選手をあなたは起用しますか?】
正直、私は「遅刻」に対するストレス耐性が低い。
年齢と共にずいぶんと改善されたとは思うものの、遅刻されるとイライラするタイプである。
実際、遅刻癖のある選手を”置いて”チームバスを出発させたこともある。
「その選手」は、練習でも、ホームゲームでも、遠征を伴うアウェイ戦でも、集合時間にいつも「微妙に」遅れてくる選手だった。
いま思えば、私の中に「受け入れられない」という生理的な拒絶感が芽生えいた気がする。
その日、「その選手」はアウェイ戦の遠征における3度目の遅刻をした。
チームバスでアウェイ戦に向け移動すべく、「その選手」を除く全メンバーが乗車済みの状態で、私は「5分の『コルテシア』を経たらバスを出してください」とドライバーさんに伝えた。
集合時間どころか、バスの出発予定時間を5分経過したそのとき、私は「その選手」を置き去りにしてチームバスを出した。
「なんて残酷な!」と思われる方もいるだろう。そうかもしれないな、とも思う。
【遅刻は誰にでもあり得る!を前提とした世界観】
スペインでは『コルテシア』と呼ぶ「遅刻への猶予時間」を必ず設ける文化がある。
この文化は、スペイン人の器の広さなのか、「人間なので”つい”とか”うっかり”といったミスもあるし、向かっている途中に予期せぬアクシデントや事故・事件に出くわすこともある。それは誰にでも起こり得るしお互い様なので、余白(猶予)を設けましょう」という、スペイン人の人間的で優しい世界観のもとに成り立っている。
この『コルテシア』は、企業における会議でも、父兄を対象にした説明会でも、コーチのミーティングでも、指導者の講習会でも、どんなシチュエーションでも必ず実践される慣習だ。
その際、その場を仕切る人が「『コルテシア』は10分にしましょうか?5分で良いですかね?」といった具合に、時間を守りその場に集まってくださった方々と合意形成を行いながら豊かなコミュケーションを取る。
そんな「人間的で優しい世界観」を、少なからず私もスペインの人たちから学び習得してきたので、「その選手」が遠征バスに2度遅刻したときは『コルテシア』を長めにとって待ち、チームバスの出発を遅らせて対応した。
なので、「その選手」の3度目の遅刻となったその日は、私の中で「もうさすがにセカンドチャンス(サード?)は不要だろう」という確固たる思いがあった。それでも『コルテシア』という概念は守った。
そして、私は「その選手」を置いてチームバスを出した。
いま思えば、どこか少し意地になっていた自分も感じるし、またそれは、私の決定自体が正しかったのか、他にやり方があったのかというモヤモヤ以上に、そこに生まれた「その選手」との関係性の居心地の悪さが、いまだに消化されていないのだと思う。
【「遅刻」とは何を意味するのか?】
さて、一体なぜ私は遅刻をしてきた「その選手」に対してイライラが収まらなかったのか。
冷静に振り返ってみると、「失礼・無礼な行為をされた」という被害者意識がそこにある気がする。
「時間」とは、全人類が唯一、同じ量と同じ価値を持って、平等に与えられた有限かつ普遍の財産。
「時間」とは、個人の「体験」「生活」「人生」といった、この世に生を享けた者たちが、みな平等に与えられた「命」そのもの。
「時間」とは、「その人の”生きる”」そのもの。
そこには、年齢も、性別も、人種も、役職も無い。
「スポーツ」とは、個人競技、団体競技を問わず「他者」の存在があって初めて成り立つ極めて社会的な活動である。
社会活動において「遅刻する」という行いは、他者の時間を、他者の体験機会を、他者の「生きる」を、つまり、他者に尊い命の無駄遣いをさせていること。
その人が、その時間を、何をして過ごすのか?どのように生きるのか?自身の意思で選択する自由を奪っているということ。
他者の時間の使い方を、強制的に自分に合わさせているということ。
「遅刻する」とは、そういったことを意味するのだと私は思う。
だからやっぱり、私は「遅刻」という行為が好きじゃない。するのも、されるのも。
ただ、そこで決して忘れてはならないのが、『コルテシア』と『セカンドチャンス』の世界観だろう。
人間らしく、ヒューマナイズされたチーム作りとは、こうした世界観無くしてあり得ないのだから。
そういえば「モモ」という、時間の大切さと人間関係の重要性を描いた物語を読んだことある。Kindleに格納されいるので、今一度読み返してみたいと思う。