スポーツ指導などの成長支援を「厳しい」「ゆるい」で語る先に進化は期待できないよね、という思いを今日は備忘録として。

「指導者とは」の本質観取

バルセロナ大学のラモン・バジェス名誉教授(93歳)という心理学者が語られる「指導者とは(教育者)」の本質観取が圧巻です。

当然ここで語られている論点は「厳しい・ゆるい」といった極論ではなく、教育者やスポーツ指導者などの成長支援者の役割や、何をする人なのか?それは何故なのか?何のために?そしてどうして?どうやって人の成長に関わっていくのかが濃厚に語られていて、ほんの2分ほどの動画ですが大切なことが凝縮されています。

動画はこちら

下記、私の解釈で意訳したものを共有します。

 

そもそも「人」とは何だろう?


「人」とは「旅」そのものである。

「旅」にはそれぞれ異なる道のりとストーリーが宿る。

人はそれぞれが唯一無二の存在である。

この世に二人と同じ人間など存在しないように、

人生もあなただけのものである。

自分を生きなさい。

他者に従うのではなく、自分の道を生きなければ、

それは「後悔」という形で永遠に遺るだろう。

人生は「継続する変化」そのものである。

人生は「連続する探求」そのものである。

人生における幸せは、最終目的地に到達したかではなく、

それまでにどのような「旅」をしたかに尽きる。

「旅」は自分次第でいかようにもできる。

豊かな旅に出よう。

チャレンジに満ち溢れた旅であるように、

多種多様な経験と体験に溢れる旅になるように。

そのために教育者は、旅の途中(学習過程)にいる彼らのゆく道に、

 

種を蒔き続けるのだ。

蒔いた種が、

どんな土壌に芽を出すのかは分からない。

人の人生は10分で変えることもできる。

だからこそ、思慮深く彼らと丁寧に関わろう。

伴走しよう、彼らの旅を。

バートランド・ラッセルは言う:

【「善い人生」とは、愛に鼓舞され、知識によって導かれる人生のことである】(The good life is one inspired by love and guided by knowledge.)

彼らの知見が広がり深まるような支援を提供せよ。

惜しみない愛を与えよ。

私たちがこの世に存在するのは、この世界をより良くするためである。

より良い社会を創るため、

できることを

できるだけ

限りを尽くそう。

自ら考え行動できる自立した人間になるよう支援せよ。

彼らが自立した人間に育つよう介せよ。

それが私たち成長支援者の使命なのだから。

 

 

「流すBGMに気をつけよ」

私たちビジャレアルの指導改革で3年かけてリフレクションを重ね、多様な視点から、広く、深く、考察、洞察を通じたどり着いた「流すBGMに気をつけよ」という合言葉。

ここでは、この気付きについて振り返ってみたいと思います。

ここでいうBGMとは、指導者は「アスリートの環境を構成するいち要因」である、との前提から導き出されたもので、アスリートの「日常」、無意識的にそこにある「文脈」を形成する物事のことです。

≪ 耐え忍べ!歯を食いしばれ!相手が100周走り込んでいるなら、俺たちは101周走るぞ!命をかけて戦え!厳しさこそがお前たちを強くするんだ!お前のことを思ってのことだぞ!不合理な罰則、理不尽な叱責、ダメ出し、否定、批判、そして攻撃・・≫ これもひとつの文脈の形。

≪ 君はそのままで充分尊い。誰のためにスポーツをやっているんだい?君は充実しているか?君の可能性は無限大だ!ひとつ、またひとつ、そうやって自らの可能性を更新していこう。倒れても立ち上がる、そんな君の姿に勇気をもらっているよ。試してごらん。模索してごらん。探求こそが気付きを生むのだから。いっぱいミスすればいい!ウェルカムじゃないか!気付きは君自身が自ら得ることができる貴重な価値体験。大丈夫、コーチ(先生、お父さん・・)はここで見守ってるよ。・・≫ なんてのもの、これまた文脈。

私たちの新たな思考の探求は、このような道のりでした。

  • 指導者・大人が流すBGMしだいで、そのアスリートが身を置く文脈・環境が定まる。
  • だから、言うこと、言わないこと、やること、やらないことに自覚的であろう。
  • 神経質なほどに言葉に意識的になろう。
  • 指導者の存在意義を考え改めよう。
  • 役割を振り返ろう。
  • 選手の心に耳を澄まそう。
  • ひとりひとりの心と正対し、それぞれの対人関係を見直そう。
  • 決めつけず、「~かもしれないし、じゃないかもしれない」クリティカルな思考を身につけよう。
  • アスリートの成功における指導者の影響領域を過信せず、自分の指導方法と勝ち負けの因果関係を都合よく解釈せず、成功に導く方程式などこの世に無いという事実を、そろそろ受け入れよう。


当時の120名におよぶ指導者は、3年間のプロセスを経てこうした新たな気付きを得て地平線の先にある世界、「新たな自分」と出会うことができました。

そして、少なくとも私たちは、アスリートだけでなく指導者自身、いわばスポーツ環境そのものが豊かになった。そんな実感を得ています。